じょうもん人はどのような家に住んでいたのでしょうか?これまでの発掘調査の結果からは、地面をほりくぼめた、たてあな住居に住んでいたことがわかっています。しかし、その家の柱やかべや屋根などがどのような作りになっていたのか、くわしいことはわかっていませんでした。そこで、考古学者は、昔の農家の人が住んでいたわらぶき屋根の家などを参考に、色々と復元をこころみてきました。その中で、一番有名なのが、下の写真にあるえんすい形をしたカヤぶき屋根の家です。

 国史跡(くにしせき)の青森市三内丸山遺跡内でも、1999年にじょうもん時代に使ったとされる道具や方法でたてあな住居を復元(ふくげん)する実験が行われました。

 まず、平らな地面に住居の土台をほりあげます。次に、クリ材(タンニンという物質が含まれていてくさりにくい)を柱に用い、フジのつるなどで組み上げ、最後にかやでふきあげました。中の広さは、15〜25平方メートルで、4〜5の家族が住んでいました。寒そうに見えますが、2月の一番寒いときにこの中で、一晩過ごした人の話ですと、以外とあったかかったそうです。この地面をほりあげて住居を作る方法は、その後も改良され、平安時代のころも、庶民(しょみん)の住まいとして使われました。

 

家の土台を作る

柱を組み合わせて骨組みを作る

柱に横木をわたす

カヤをふく

 以前はじょうもん時代の住居というと、上の写真にあるようなカヤぶきのものがふつうでしたが、最近の発掘調査の結果、むしろ、土や木の皮などで屋根をふいた住居ではなかったかと考えられるようになってきています。典型的(てんけいてき)な例では、岩手県の御所野(ごしょの)遺跡の発掘調査例が土ぶきの住居の可能性を強く暗示(あんじ)するものでした。現在、三内丸山遺跡で復元されている住居はすべてカヤぶきですが、三内丸山遺跡の数百軒にのぼる住居跡(じゅうきょあと)からは、全くカヤは発見されていません。じょうもん住居=カヤぶき、という図式はそろそろかんばんを下ろさざるをえなくなりつつあります。復元には多量のカヤが使われましたが、じょうもん人が身近にはなかったカヤを使ったとは、とうてい考えられないのです。むしろ、かんたんに手に入る「土」や「木の皮」を使用したと考えるのが自然でしょう。いずれ、三内丸山の復元住居については、おおはばな見直しが行われることでしょう。その時には、カヤ屋根のイメージが強いじょうもん集落のようすが一変することでしょう。
 

カヤぶき住居復元図

カヤぶき住居

土ぶき住居復元図

土ぶき住居

樹皮ぶき住居復元図

樹皮ぶき住居

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