この地球に生きている生物は、いつか必ず死ぬときがやってきます。現在の日本では、死ぬと火で死体を焼いて(火葬)、その骨をお墓にうめるのが普通です。しかし、つい、20から30年前までは、焼かないで、土に穴をほり、そのままうめてしまう(土葬)こともしばしばでした。

 じょうもんじんも生き物ですから、いつかは死ぬ時ををむかえ、家族や同じムラの人たちにほうむられました。死者をほうむるにもいろいろなやり方がありました。土の穴をほってうめる時も、手足をのばしたままうめる「しんてんそう(伸展葬)」とヨガのポーズのように、手足をおりまげる「くっそう(屈葬)」がありました。「しんてんそう」は、永遠にねむるすがた。「くっそう」は、おかあさんのおなかの中にいるあかちゃんのしせい、あるいは化けて出てこないように手足をしばったとか。みなさんは、どう思いますか?

しんてんそう(伸展葬)

くっそう(屈葬)

 下の生々しい人骨の写真は、北海道の北はずれにある礼文島にある遺跡から発見された、今から約3500年前のじょうもん時代のお墓です。長さ約100cm、はば約70cm、深さ約60cmほどの穴をほり、その中に体を折り曲げて死体をまいそうしています。多くは、頭を北の方角に向けています。死体のそばには、生きていたときに身につけていたと思われるヒスイの大きな玉や貝のからで作られた平らな玉などがいっしょにうめられていました。私たちが今日、行うことと変わりありませんね。

  

くっそう-北海道のじょうもんのおはか

穴をほって、くっそうでうめる

ヒスイの飾りをいっしょにうめている

375個の貝製の玉をいっしょにうめている

お墓から発見された玉など

お墓から発見された貝製の平らな玉
※上の写真は「礼文町船泊遺跡発掘調査報告書」(北海道礼文町教育委員会)平成11年度 から転載しました。

 こまきのいせきで見られるストーンサークルは、東日本のじょうもんじだい人がこのんで作ったおはかの一種です。何世代にもわたってこの地におはかを作るでんとうが「円」という形になったのかもしれません。
 こまきのいせきがあった、やく3,500年前のじょうもんじだいこうきには、「かめかん」といわれる大きなかめに骨を納める風習もありました。死者をそのままかめにはいれられませんので、いったん骨になったものを再び「かめかん」にほうむるのです。下の写真は、青森県倉石村にある薬師前遺跡(やくしまえいせき)から発見された「かめかん」です。とても3,500年前の骨とは思えないくらいなまなましい色をしています。腕輪など、生前使っていた多数のかざりとともにほうむられていました。死者を手厚くほうむっているようすがよくわかります。

「かめかん」の調査

中から出てきた女性のずがいこつ

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