食の科学、No.295(2002年9月),pp37-45 [出版社:(株)光琳 03-3875-8671]


 【食品化学余話】 考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(前編)
−旧石器にナウマン象の脂肪はあったのか?− 山口 昌美



1.はじめに

 2000年11月、毎日新聞のスクープにより、藤村某氏による旧石器発掘ねつ造事件が発覚した。そして、今年5月の日本考古学協会による検証結果報告で、藤村某氏の関与した遺跡と遺物は学術的価値がない、つまり、でたらめであるという全面否定で決着した。
 この旧石器発掘ねつ造事件の思いもかけぬ余波を受け、食品と縁の深い脂肪や脂肪酸に関係する「残存脂肪酸分析」と呼ばれる考古学において定着していた理化学的手法の信頼性が問われる事態が起こった。
 考古学は、現在に残る遺跡、遺物から古代の人の生活、社会を考究しようとする学問である。石器や土器などの遺物を土台としているので、それらの判定や解明に様々な理化学的手法が使われている。それらの理化学的手法の中には、食品分析やバイオ技術でなじみのある手法もある。例えば、青森県三内丸山遺跡で縄文人がクリを栽培していたとする説の根拠は、DNA分析により、遺物のクリが野生クリより遺伝的に均一であることが確認されたためとされている。
 イネ、ヒエ等に存在するプラントオパールと呼ばれる微細なケイ酸粒子は、特異な形状を呈し、化学的に安定で長い年月の間にも変化しない。プラントオパールは考古学において、イネ科植物の栽培や種類、水田跡の確認などに応用されている。
 コラーゲンは、健康食品素材やゼラチン原料として利用されているが、コラーゲンの炭素・窒素安定同位体比は動物が摂取した食資源の同位体比を反映するので、考古学での分析手法の一つとなっている。安定同位体とは、D、13C、15N、17O等であり、通常のH、12C、14N、16Oより、原子量が大きい元素である。炭素・窒素安定同位体比法は、古人骨のコラーゲン試料の13C、15Nを精密に測定することにより,古代人が何を食べていたかを推定する方法である。
 「残存脂肪酸分析」は、遺物に付着残存している古代の脂質を分析し、そのデータを解析することにより、その脂質がどのような植物や動物に由来するかを推定する方法である。そして、判明した植物や動物から、古代人の食や生活状況を推理しようとするものである。
 「残存脂肪酸分析」は、1980年代に日本に導入され、古代人の食の推理に科学的根拠を与える理化学的手法として、考古学関係者からは画期的な分析法と見なされていた(1)ようである。
 考古学で扱う遺物は古いが、その分析にはDNA分析、炭素・窒素安定同位体比法、プラントオパール、「残存脂肪酸分析」など、新しい科学的手法が用いられている。ここでは、旧石器発掘ねつ造事件に関連した石器からのナウマン象脂肪の検出問題、縄文クッキーなど、食品と関係ある考古学のトピックスを紹介し、「残存脂肪酸分析」ならびに縄文の食についての筆者の考え方を述べたい。なお、縄文、弥生の食については多くの論文や著作があるが、その多くは考古学者によるものであり、食品関係者による論文や著作は見あたらない。そのためか、主観的な印象を感じるものが多い。古代の食生活の科学的解明には、食品関係者の積極的な関与が必要と思われる。この小文がそのようなきっかけになることを願っている。

2.旧石器にナウマン象の脂肪?

 インターネットに掲示板という仕組みがあるのはご存知の通りだが、旧石器発掘捏造事件発覚直後から、考古学関係の掲示板では、前期旧石器遺跡の信憑性を巡り、考古学以外のいろいろな専門分野の人も含め、激しい議論(2)が展開されていた。今となっては、藤村某氏の関係した遺跡は全て信頼できないと結論されたわけだが、当時は考古学関係者は前期旧石器信奉派が多く、否定派は他分野の者が多かった。
 前期旧石器信奉派の考古学関係者が理由の一つとして挙げたのが、馬場壇Aという前期旧石器遺跡(宮城県)の10万年以上前の地層から発掘された石器に、ナウマン象の脂質が検出されたという科学的な証明があったことである。旧石器人は、その石器でナウマン象を調理していたことになる。ナウマン象の脂質は、「残存脂肪酸分析」により存在が確認されたとされていた。
 これに対し、この「残存脂肪酸分析」は誤りであり、科学的な証明にはならないとの主張を難波教授(広島大学:病理学)が掲示板上で展開した。そして、激しい論戦の末、同調する考古学関係者も現れ、その協力を得て、病理学の教授が日本考古学協会総会で発表するという異例の事態になり、前日の日経紙にもニュースとして取り上げられた。当日、会場は掲示板での経緯を知っている考古学関係者で満員の盛況を呈したというが、発表後、質問や反論は全く出ず、病理学の教授の所論が考古学学界で認められる結果になった。
 難波教授の発表は、馬場壇A遺跡の脂肪酸分析に関し、対照実験の不備、異常に多い検出脂肪量、低融点のパルミトレイン酸(炭素数16の不飽和脂肪酸、融点0℃近辺)が流出せず残存していた不思議さ、ナウマン象脂肪にはパルミトレイン酸が存在しないのにナウマン象脂肪と推定した不思議さ、10万年以上前の古い石器から不飽和脂肪酸が検出されたことはネーチャー誌等の一流誌に報告されて然るべき大発見なのにどこにも原著論文が発表されていない不思議さ、脂肪酸分析データの解析にラグランジェの未定係数法を用いている数理統計上の原理的な誤り、等の多方面からその報告の不備を指摘したものであった。そして、「馬場壇A遺跡において石器からナウマン象脂肪が検出されたという主張には、確実な証拠がなく、まして動物種の確定は用いられた方法がラグランジェの未定係数法である限り原理的に不可能であり、従って馬場壇A遺跡の信憑性を支える科学的証拠のうち脂肪酸に関しては、これはまったく存在しないものとみなすべきである」と結論付けた。
 馬場壇A遺跡が藤村某氏の捏造と判明した現時点でこれらの指摘を眺めると、異常に多い検出脂肪量、低融点のパルミトレイン酸の存在など、藤村某氏の手の脂と解釈できる。難波教授の不審点の指摘は適切であった。難波教授の発表要旨(3)ならびに発表記録(4)はネット上で閲覧できるので、詳細はそれを参照されたい。

3.残存脂肪酸分析の検証
 さて、難波教授の批判は馬場壇A遺跡に向けられたものであるが、その中には個別遺跡から離れ、「残存脂肪酸分析」全般に通用するラグランジェの未定係数法の誤用の指摘があった。ラグランジェの未定係数法を使用しなければ、考古学の「残存脂肪酸分析」は信頼できるのか?食品化学の立場から見たらどうなるか?筆者は「残存脂肪酸分析」について興味を覚え、「残存脂肪酸分析」の科学性と成果について検証してみた。検証結果をまとめた小論文は、多くの考古学関係者の協力を得て、ネット上で公開(5)されている。賛意はあっても、格別の反論は無いので、一つの論として合理的に許容し得る範囲にあるかと思っている。以下、その概要を紹介する。

 3.1 「残存脂肪酸分析」とは

図1.残存脂肪酸分析のプロセス
P0.遺物の発掘、分析対象の選定
       ↓
P1.遺物からの残存脂質の単離
       ↓
P2.残存脂質の加水分解による脂肪酸の遊離
       ↓
P3.遊離した脂肪酸の分析
       ↓
P4.残存脂質の脂肪酸の組成の把握
       ↓
P5.残存脂質の脂肪酸の組成から
  本来の脂質の動植物種の推定
 「残存脂肪酸分析」の分析手順は、図1に示すように食品分析で用いられている方法と同じである。その手順は、遺物に残存している残存脂質を有機溶媒で抽出、抽出物を薄層クロマトグラフィーで分離、分離により得られたトリグリセリドを加水分解してグリセリンと脂肪酸に変換、その脂肪酸をガスクロマトグラフィーで分析、という一連の操作からなる。得られた脂肪酸の組成から本来の脂質の起源を推定する。
 「残存脂肪酸分析」は、「すべての動植物は脂質をもっており、その主成分である脂肪酸の割合は、動植物の種によって少しずつ異なっている。そこで、この脂肪酸の化学組成の違いをいわば指紋として使おうというのが、脂肪酸分析法である。考古学資料に残存している脂肪酸組成を分析し、現生の動植物や絶滅した動植物の脂肪酸組成のデータベースと照合すれば、それが何であったかを特定できる。」(6)と説明されている。

 3.2 前提への疑問
 さて、「脂質の由来する動植物が特定できる」ためには、当然ながら、脂肪酸組成が変化していない状態で、脂質が残存していることが前提になる。脂肪酸が変化した場合、”本来の脂質”の合理的な推定は不可能になる。指紋が変わったのでは、犯人特定に役立たない。
 この脂肪酸不変の前提が、長年月、自然環境下にあった遺物に付着していた脂質について成立するであろうか?数千年、数万年も脂肪酸が不変で存在するというこの前提は、脂肪酸酸化による食品の劣化を恐れ、窒素シールや真空包装で油脂の酸化を懸命に防止している食品技術者にとっては、違和感を感じる前提である。

3.2.1 化学の立場からの検証
図2.トリグリセリドの加水分解 脂質の内、動植物油脂の主成分であるトリグリセリドとその構成分である脂肪酸を対象として、分子中で変化が起きる可能性のある場所はどこか、どのような変化が起こり得るか、変化が起きる条件は何か、遺物の置かれていた環境条件は、変化が起きる条件に該当するか、等を検討してみよう。
 トリグリセリドは、よく知られているようにグリセリンに脂肪酸が3個結合した化合物で、図2の構造を持つ。トリグリセリドの変化が起こりやすい場所の一つは、この両者の結合部分である。この繋ぎ目が分解を受けやすい。本稿では、便宜上、この分解を主鎖の分解と呼ぶ事にする。主鎖の分解は、図2に示すように、トリグリセリドが水と反応して、グリセリンと 脂肪酸に分解する加水分解反応である。
 主鎖の分解には水が必要であり、水分不在の絶乾状態では起こり得ない。主鎖の分解は、酸性またはアルカリ性条件下で促進される化学反応による場合と、酵素反応による場合がある。反応速度に関する理論に従えば、化学反応の場合も、酵素反応の場合も、反応の原料であるトリグリセリド濃度の減少につれ、反応速度は遅くなる。しかし、反応原料が存在する限り、平衡状態に達するまで進行する筈である。このことは、反応初期には主鎖分解が極めて速やかに進行し、その後、緩やかになることを意味する。一見、分解が停まったように見えても考古学的長時間のスケールで見れば、緩やかに進行していると考えるべきであろう。
 主鎖の分解が起こらない条件は、水分不在の絶乾状態、微生物不在の滅菌状態である。この条件が保証されない場合、主鎖の分解は起こる可能性がある。遺物の存在状況で、この条件が保証される場合は少ないと思われる。
 分解を受けやすい二番目の部分は、脂肪酸自体である。飽和脂肪酸は安定だが、不飽和脂肪酸が劣化しやすいことは、食品の保存性と関連し、食品技術者によく知られている。不飽和脂肪酸の二重結合は化学的に不安定であり、酸素の関与する反応により変化を受けやすい。化学的にはラジカル反応と呼ばれる反応タイプに分類される。
 この反応は、熱、光、酸素、重金属イオンなどにより、誘発、促進される。この反応で中間的に生成する過酸化物やラジカルは、非常に活発な反応性を持ち、再結合、分解など多様な反応を引き起こし、最終的な生成物は複雑な様相を呈する。
 主鎖分解の場合には、生成物がグリセリンと脂肪酸であり、単純明解だが、不飽和脂肪酸の化学変化は、ラジカルが関与する反応であり、不規則である。一旦、ラジカルが生成すると、再結合、不均化、水素引き抜きなどで停止するまで、反応がどのように進行するか、不飽和脂肪酸の種類やその置かれている環境条件や共存する他物質の状況により異なり、予測しにくい。結合や分解により、炭素鎖は長くもなれば、短くもなり得る。
 不飽和脂肪酸の変化が不規則で複雑なことは、遺物に残存する脂質の脂肪酸組成の変化が不規則であることを示唆し、「残存脂肪酸分析」の確度に微妙な影を投げかけている。
 不飽和脂肪酸の二重結合は化学的に不安定なので、酸素が存在すれば化学変化は起きる。遺物の存在状態は、真空パックや窒素シールの状態でないので、酸素の影響は避けられず、遺物の不飽和脂肪酸の化学変化は不可避であろう。
 三番目の変化として、生体の代謝に係わるトリグリセリドのβ酸化による分解がある。
β酸化は、トリグリセリドが微生物等に取り込まれた場合に起こる。 β酸化により、脂肪酸は分解され消失する。遺物近傍に微生物が存在すれば起こりうる現象である。遺物は
微生物から隔離されている訳ではないので、この変化も起こる筈である。

 3.2.2 モデル実験及び遺物からの検証
 化学的には、遺物のトリグリセリドの分解や不飽和脂肪酸の変化は不可避と推測されたが、現実にはどうであろうか?“脂肪酸不変の前提”をモデル実験から検証してみたい。
 エゾジカの脛骨を用いたモデル実験のデータ(7)を検討してみる。このデータは、実験開始時→14ヶ月後→23ヶ月後の脂肪残存率が100%→6%→5.2%となり、23ヶ月後、脂肪は当初の約5%に減少していることが読みとれる。実に約95%の脂肪が、主鎖分解とそれに続くβ酸化により消失したことになる。
 また、脂肪残存率だけでなく、実験開始時→14ヶ月後→23ヶ月後の脂肪酸組成も変化しており、脂肪酸の変化が起こったことを示している。不飽和脂肪酸であるリノレン酸は、2.8%から0.7%に減少し、一方、アラキジン酸以上の高級脂肪酸は0.5%から5.6%に増加している。これは、不飽和脂肪酸の変化により生成した中間生成物の結合により、炭素鎖の長い高級脂肪酸が新たに生成したか、不飽和脂肪酸や低〜中級脂肪酸が高級脂肪酸より速やかに分解され、高級脂肪酸の比率が相対的に高くなったためであろう。
 実際の遺物でも、モーガン等の報告(8)には、主鎖分解と側鎖の変化が起こったことが示されている。難波教授の要約(9)によれば、「bog(沼沢地帯)で発掘されるバター状の油脂が沼地に沈んだ人間や動物の脂肪に由来することは、明らかだが、長い年月の間に、不飽和脂肪酸が酸化され、飽和脂肪酸に変わり、かつグリセリンエステルが分解してしまうため、みんな同じような飽和脂肪酸の組成になってしまう。従って、湿地や水の中にある脂肪は、どの動物に由来するか鑑別できなくなる」となる。
 また、日本の発掘調査報告書(例えば忍路土場遺跡)(10)にも、遊離脂肪酸やジグリセリドの存在が報告されている。遊離の脂肪酸やジグリセリドを多量に生産する動植物は存在しないので、これらの存在は主鎖分解が起こっていることの証左である。
 「主鎖分解が起こっても、脂肪酸が遊離するだけのことで、脂肪酸組成には影響しないのでは?」との見方もあるが、遊離した脂肪酸の性状は元のトリグリセリドと異なる。トリグリセリドの状態では流亡し難かった脂肪酸が、遊離したために流失し易くなることはあり得る。パルミトレイン酸のような低融点の脂肪酸は、遺物や近辺の土壌から流失しやすいことが指摘(3)(4)されている。土壌による吸着があるので、低融点が直ちに流失に結び付くとは考えにくいが、主鎖分解は脂肪酸組成を変化させる一つのトリガーにはなり得る。
 また、「モデル実験から見て、油脂の主鎖分解や不飽和脂肪酸の変化は、1〜2年で安定した状態になるから、分析やデータ解析に支障ない」との見方をする考古学関係者もあるようだが、遺物の場合、どのように、どの程度変化したか、判断できない。指紋の変化が安定化したからといって、既に変化し、どのように変化したか判らない指紋では犯人特定に使えない。
 以上のように、「残存脂肪酸分析」の前提である“脂肪酸不変”は、化学的な立場からの推論では成立困難であり、モデル実験及び現実の遺物でも、成立していない。

3.2.3 前提に関する従来の見方
 化学的にも、実証的にも成立し得ない“脂肪酸不変の前提”が、従来、考古学関係者にどのように認識されてきたか、振り返ってみたい。
 「脂肪は微量ながら比較的安定した状態で千年・万年という長い年月を経過しても変化しないで遺存することが判明した」(7)という“脂肪酸不変の前提”を全面的に肯定する表現が多くの文献(10)(11)(12)(13)(14)に常用されている。
 この常用文の出典として、『歴史公論』掲載の総説(1984年)(15)、及びロットレンダー等の文献(1979年)(16)が挙げられている。前者は総説であり、“トリグリセリドは変化しないで遺存する、脂肪酸は変化しない”ことを実証するデータはない。
 ロットレンダーの文献(16)には、“花粉や種子の高分子有機化合物(例えば脂肪やステロイド)は、しばしば万年以上変化せずに保存される”との表現はあるが、変化しないことを証明したデータ、手法または根拠については、何の記載もない。脂肪やステロイドを高分子に分類する化学者はあまりいないと思われるが、この文献のレベルに対し、難波教授は疑問(9)を呈している。ともかく、常用文「千年・万年という長い年月を経過しても変化しないで遺存する」ことを証明したデータ、手法または根拠は、引用されている文献(15)(16)には見いだせない。
 なお、文献(17)は、主鎖の分解及び不飽和脂肪酸の変化について、多くの例を挙げ、脂肪酸組成の酸化や熱による変質は避けられないことを指摘している。
 以上のことから、「脂肪は微量ながら比較的安定した状態で千年・万年という長い年月を経過しても変化しないで遺存することが判明した」という表現の科学的根拠は極めて乏しいと判断される。

 3.3 データ解析法への疑問 
 仮に、本来の脂質の脂肪酸が変化せずに残存していた場合、「考古学資料に残存している脂肪酸組成を分析し、現生の動植物や絶滅した動植物の脂肪酸組成のデータベースと照合すれば、それが何であったかを特定できる」(6)であろうか?
 前述の“脂肪酸不変の前提”を第一の関門とすれば、第二の関門は、脂肪酸組成を基にした本来の脂質の起源(動植物)の特定の問題である。

 3.3.1 動植物種の推定方法に対するこれまでの批判
 本来の脂質の脂肪酸が変化せずに残存していた場合、魚油におけるDHA、EPAのような不飽和高級脂肪酸、菜種油におけるエルシン酸のような、その種に特徴的な脂肪酸が存在すれば、動植物種の推定はかなりの確度で推定できる。しかし、そのような特徴的な脂肪酸が存在しない場合、「残存脂肪酸分析」では、どの油脂にでも共通に存在する脂肪酸の組成によって動植物種の推定を行うことになる。
 難波教授は複数の動植物油脂が混合している場合に常用されてきた推定手段であるラグランジュの未定係数法の適用は原理的に誤りであることを指摘(3)(4)したが、その他にも以前からいくつかの問題点が指摘(18)されている。それらの批判をつなぎ合わせると、「動植物種による脂肪酸組成の差違は元々微妙であり、動物の部位や食性による脂肪酸組成の変異、更に経年による脂肪酸組成の変化や土壌からの汚染を考慮すると、特定種の動植物を認定するのは困難で、大きなカテゴリーでの分別が精一杯(19)(20)であろう。推定手続きや動植物候補の選定基準も不透明(21)(22)で、複数の動植物が混合している場合の推定手段に誤り(3)(4)がある。科学的でなく、考古学にとって全く無意味な分析例(22)もある」となろう。

 3.3.2 動植物種の推定の可能性への疑問
 そもそも油脂が何種類の動植物油脂混合物かわからない状態で、脂肪酸組成のデータだけから、動植物の数、動植物の名称、その混合割合の特定が可能であろうか?
 遺物に残存している油脂が単独の動植物種に由来している場合、“脂肪酸不変の前提”が成立していれば、動植物種の合理的推定は可能であるが、この場合も脂肪酸組成の微妙な差で、どこまで細かく種を特定できるか(20)の問題があり、限界を認識しておく必要があろう。
 脂肪酸組成からそれを構成している動植物油脂の数を求めることは不可能の筈である。数が分からなければ、名称は特定できない。既知値に比べて、未知数が多く、答えは不定解となり、特定解を求めることは原理的に不可能であろう。このことは、ラグランジュの未定係数法の誤用の問題(3)(4)と関連しているのかもしれない。簡単な例で検証してみよう。
 仮に、牛の脂肪はステアリン酸(S)だけ、豚はパルミチン酸(P)だけ、ウサギはS50%、P50%の混合物として、遺物の残存脂肪を分析したところ、S60%、P40%であったとする。遺物の残存脂肪が一種の動植物に由来するのであれば、遺物の残存脂肪はウサギの可能性が高いということになる。ところが複数の動植物に由来するのであれば、2種混合物なら牛と豚との0.6/0.4混合物、3種混合物なら牛と豚とウサギの0.4/0.2/0.4混合物も可能となる。
 この牛、豚、ウサギの想定例は、次のことを示している。
「脂肪酸組成から、脂肪の由来する動植物の数は分からない」、
「答えは不定解となり、複数の答えが存在する。特定解を求めることは不能である」
「複数混合油脂の場合、動植物脂肪の候補を、脂肪酸組成の相関関係の近いものに限定することは誤りである」
 上例で残存脂肪と相関関係の近いものはウサギだが、混合脂肪の場合であれば、関係の遠い牛や豚も条件を満たすことになる。混合脂肪の場合、相関関係の近いものに動植物油の候補を限定した脂肪酸組成のデータ処理は、可能性の一つを示しただけで、真実かどうかは定かでない。
 皮革製品など特殊例を除き、土器や石器などの遺物に付着している油脂が単独の動植物種に由来しているか、複数の動植物種に由来しているかは判らない筈である。このような状況では、仮に第一の関門を突破したとしても、脂肪酸組成のデータからの動植物種の合理的な特定は不可能であろう。
 脂肪酸組成のデータ一つで、単独の動植物種に由来する油脂か、複数の動植物に由来する油脂の混合物であるか、複数であれば何種類か、その動植物の名称、その混合割合の特定ができる分析法があれば、時折、油脂や蛋白の偽和で困惑する食品業界にとって朗報である。そのような分析法は耳にしたことはないが、存在するのだろうか。

参考文献・情報源
1)國學院大學考古学会展示班2000:「縄文時代の食:加工食品炭化物から」(國學院大學考古学会誌2000年度若木祭記念号、p11-30 )
2)旧石器発掘捏造事件に関するネット上の論争・情報:『"神の手"事件情報局』参照
http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/
3)難波紘二・岡安光彦・角張淳一:「考古学的脂肪酸分析の問題点」『日本考古学協会第67回総会研究発表要旨』(2001.05.19)
http://www.momoso.net/articles/shibousan.html
4)難波紘二・岡安光彦・角張淳一:「考古学的脂肪酸分析の問題点(発表記録)」
http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/sibousan.htm
5)元企業技術者y:「残存脂肪酸分析:その科学性と成果の検証:」
http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/yamaguti/sibousan.htm

6)中野益男:「縄文のクッキーを脂肪酸で分析する 」『生命誌』1998年秋号(JT生命誌研究館)
7)中野益男:「残存脂肪分析の現状と課題」『考古学ジャーナル』No.386,2-8(1995)
8)Thornton, M.D., Morgan E.D. & Celoria, F.:「The composition of bog butter.」『Science & Archaeology』 3:20-25,(1970)
9)難波紘二:「ロットレンダー“論文”について」『南河内考古学研究所・喫茶室 記事記録No.1』[705] (2001.04.28)
10)中野益男・福島道広・中野寛子・長田正宏:「忍路土場遺跡から出土した遺物に残存する脂肪の分析」『小樽市忍路土場遺跡・忍路5遺跡』北埋調報53(1989)(財)北海道埋蔵文化財センター
11)中野益男・中野寛子・清水了・門利恵・星山賢一:「山越2遺跡から出土した土壙に残存する脂肪の分析」『八雲町山越2遺跡』北埋調報163(2001)(財)北海道埋蔵文化財センター
12)中野益男・中野寛子・明瀬雅子・長田正宏:「熊ヶ平遺跡から出土した炭化物に残存する脂肪の分析」『熊ヶ平遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書第180集(1994)
13)中野益男・中野寛子・長田正宏「大船C遺跡から出土した遺構に残存する脂肪の分析」『大船C遺跡』(1998)南茅部町教育委員会
14)中野益男・中野寛子・門利恵・星山賢一:「キウス4遺跡Q地区から出土した土壙に残存する脂肪の分析」『千歳市キウス4遺跡(7)Q地区』北埋調報152(2001)(財)北海道埋蔵文化財センター
15)中野益男:「残存脂肪分析の現状―遺跡・遺物に残存する脂肪は原始古代を語ってくれるか―」『歴史公論』124-133(1984年5月号)
16)Rottlaender,R.C.A.and Schlichtherle,H.:「Food identification of samples from archaeological sites」『Archaeo-physika』10,260-267(1979)
17)坂井良輔・小林正史:「脂肪酸分析の方法と問題点」『考古学ジャーナル』No.386,9-16(1995)
18)菊池 実:「脂肪酸分析と考古学的成果」『考古学ジャーナル』No.386,22-28(1995)
19)小池裕子・早坂広人:「考古遺物の脂質分析−種の同定はどこまで可能か」『日本第四紀学会講演要旨集』18,52-53(1988)、日本第四紀学会(http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/dai4ki.htm
20)難波紘二:「イノシシとシカは脂肪酸では区別できない」『南河内考古学研究所・喫茶室 記事記録No.1』[906] (2001.6.6)
21)杉山洋:「考古学からみた土器埋納遺構の性格」『奈良国立文化財研究所学報52 西隆寺発掘調査報告書』 (1993.03) 奈良国立文化財研究所
22)鶴丸俊明:「北海道旧石器考古学の論点」『北海道考古学』第37輯2001.03(←図書館通い:『南河内考古学研究所・喫茶室 記事記録No.1』[1051]
(註)『南河内考古学研究所・喫茶室 』:http://cgi.skao.net/kissa/

(案内人補註) 註21)の杉山洋氏の論考は、以下の奈良文化財研究所のホームページで閲覧することができます。あわせて、中野氏らが行った残存脂肪酸分析の結果もご覧ください。http://acd.nabunken.go.jp/Nabunken-Doc/hukyu/gakuhou/gaku52/gaku52.html


食の科学、No.295(2002年10月),pp44-50 [出版社:(株)光琳 03-3875-8671]

 
 【食品化学余話】 考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(後編)
        −縄文クッキーの謎に迫る−    山口 昌美




4.縄文クッキー
 縄文クッキーという名前は、何かで目にされた方が多いかと思うが、縄文前期の山形県押出遺跡から出土したクッキー状の食品炭化物の通称である。ネーミングの良さからか、子供たちの課外授業の人気アイテムらしい。山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館ホームページ(23)に写真が掲載されているが、その説明では、国指定重要文化財らしい。食品関連の重要文化財というのは珍しい存在である。なお、遺存している食品炭化物は全国各地にあり、國學院大學考古学会による詳細な調査(1)がある。
 縄文クッキーに関する解説的文献(6) には「山形県・押出遺跡からクッキー状の炭化物が出土した。この立体的な装飾を施した縄文クッキーを残存脂肪酸分析法で分析すると、クリ・クルミの粉に、シカ・イノシシ・野鳥の肉、イノシシの骨髄と血液、野鳥の卵を混ぜ、食塩で調味し、野生酵母を加えて発酵させていたことがわかった。これには、木の実を主体にした「クッキー型」と動物を主体にした「ハンバーグ型」のものとがあったが、どちらも栄養価は100g当り、400〜500Kcal。成人男子のカロリー摂取量が、1800Kcal/1日だとすると、25〜30gの縄文クッキーを1日12〜16個食べればよいことになる。さらにその栄養成分を街で買った普通のクッキーと比較したところ、縄文クッキーのほうが、タンパク質、ミネラル、ビタミンが豊富で、栄養学的には完全食に近く、保存食としてもなかなかのものだった。脂肪酸分析によって明らかになったのは、思いのほか豊かな縄文の食生活だったのである。」の記載がある。

 (1)学術報告が無い
 さて、国指定重要文化財になっているほど有名な縄文クッキーであるが、学術的に不詳な部分が多い。ナウマン象脂肪の場合と同様、原著的学術報告が存在しないためである。食品炭化物に関心のある考古学関係者にとっても、その所在は確認できず、國學院大學の中村氏も確認できない旨、報告(24)している。
 なお、日本農芸化学会東北支部・北海道支部合同秋期大会(1987年)で口頭発表された模様なので、日本農芸化学会誌に転載された同講演要旨(25)を閲覧したが、脂肪酸の由来する動植物を特定した方法等は、記載されていなかった。

 (2)動植物の推定プロセスが不明
 従って、「クリ・クルミの粉に、シカ・イノシシ・野鳥の肉、イノシシの骨髄と血液、野鳥の卵を混ぜ、食塩で調味し、野生酵母を加えて発酵させていたことがわかった」を導いたデータ解析の過程が不明で、動植物候補の選定ならびに上記の動植物に特定したプロセスが全くわからない。
 動植物候補の選定を相関関係の近いものに限定したとすれば、既に指摘したようにそれは原理的に誤りである。動植物種の特定にラグランジュの未定係数法を適用したとすれば、馬場壇A遺跡の残存脂肪酸分析に関連して難波教授が指摘(3)(4)したようにそれは誤りである。

 (3)栄養成分表の作成過程が不明
 また、文献(6)掲載の縄文クッキーの詳細な栄養成分表(表1)の作成過程が不明である。作成には二つの方法が推定される。その一つは実際に炭化物を分析した実測、もう一つは脂肪酸分析値からの算出である。どちらか不明なので、双方に対する疑問点を挙げてみる。
 実際に炭化物を分析した場合、炭化したものから元の有機化合物をどのように同定し、定量したのか?という疑問がある。食品関係者によく知られているように、加熱調理した食品では、澱粉の結晶構造の破壊や蛋白質の変性が起こり、食品高分子の高次構造が変化しただけで、化学的な変化をおこした訳ではない。
 しかし、炭化となると、食品を構成している分子が分解、縮合、炭素化などの化学変化を起こし、別の分子になってしまうことになる。別の分子になった状態から、元の有機化合物を同定、定量できない。
 また、栄養成分表の重量から算定すると、記載の化合物で100%になる。縄文クッキーには、栄養成分表記載以外の化合物は含まれていないのか、という疑問が出てくる。現代の精製された素材と異なり、当時の素材は植物に由来する栄養成分以外の化合物を多量に含んでいた筈である。例えば、セルロース、ヘミセルロース、ポリフェノール類等である。これらを炭水化物に含めて表示したとすれば、栄養成分表のカロリー計算に不合理が生じる。
 さらに、炭化部分と非炭化部分の混在物で、元の成分を定量的に推定できるのか?という疑問もある。例えば、半分焦げて炭化した芋の分析値と炭化していない芋の分析値が同じになるとは考え難い。同じでない分析値から、どうやって、元の組成を算出できたのか、理解しにくい。炭化部分と非炭化部分での成分の不均一性は栄養成分表にどのように反映されたのであろうか。
 脂肪酸分析値からの算出の場合、算出は次のa〜cの過程を経て行われたと思われる。
a.脂質の動植物種を特定し、その存在割合を算出
b.栄養成分表の脂肪比率の逆数を乗じて、各動植物種の量に変換
c.各動植物種の量から、栄養成分表に基づき炭水化物、蛋白質を求め、表を作成
 この算定では、基礎データとなる動植物種の特定とその混合比率が確実なこと、及び換算の基準となるデータベースとしての栄養成分表の存在が前提になる。ところが、動植物種の特定に不明点が多いことは前述の通りで、基礎データ自身が不確実である。
 また、栄養成分データベースに無い品目の換算方法が不明である。
一般に栄養成分表というと、「科学技術庁資源調査会編集:日本食品標準成分表」であるが、これには、シカの肉、野鳥の肉、イノシシの骨髄、イノシシの血液、野鳥の卵は掲載されていない。掲載されていない品目の計算は不可能である。他の特殊な栄養成分表を用いたのなら、出典を明記すべきであろう。

(4)「発酵させていた」根拠が不明
 更に、「野生酵母を加えて発酵させていた」根拠が示されていない。発酵させた根拠に、ステロール分析によるエルゴステロールの存在を挙げるのであれば、そのエルゴステロールが酵母由来であることの証明が必要である。エルゴステロールは酵母独自に存在するのではなく、真菌類の細胞膜に共通して存在し、カビにも存在するからである。さらに食品汚染源としての酵母でなく、発酵に用いた酵母である証拠の提示が必要であろう。カビや酵母が生えて放棄したものでなく、酵母で発酵させた根拠を示すことが求められる。

(5)科学的根拠がない
 縄文クッキーの脂肪酸分析は、科学的根拠不明の部分があまりにも多すぎる。縄文クッキーについての記述ならびにデータが正しいことを確認できない。現在、広く流布され、信じられている縄文クッキーの分析値は、その算出過程を検証できる原著的学術論文が提出されない限り、根拠がないと判断せざるを得ない。

5.縄文人の食は理想的?
図3.里浜貝塚縄文人と現代人の一日分摂取食品の栄養分析成分 縄文人はバランスのとれた食生活をしていた根拠として、よく引用される宮城県の里浜貝塚の糞石の残存脂肪酸分析を検討してみよう。糞石は、古代人の排泄物が固い化石状になったもので全国の遺跡から見つかっている。
 報告書(26)の”糞石による昔の食の復原”の総括(原書p)では、「糞石の残存脂質から、約13種類の食事メニューが推定された。植物食は主としてトチ、クリ、クルミ等の木の実が主体であった。動物食はニホンシカ、イノシシ、タヌキ、イヌ、ニホンザル、アザラシ、クジラ、魚介類、海草、野鳥など各種の組合せが見られた。コレステロールに対するコプロスタノールの比は、ほぼ一定していることから、縄文人は健康的な食生活が観察された。食事メニューを栄養学的に復原すると一日の摂取エネルギーは2250kcal(9900kj)と理想値に近く、糖質、蛋白質、脂質の3大栄養素および食塩も現代人の目標値に近い値を示した。無機成分、ビタミンも豊富であった。」と記載されている。
 脂肪酸分析の結果から復元したとされる同報告書原図4を図3に示した。さて、この報告についても疑問点は多数ある。

 1 質から量を推定した不思議さ 
 まず第一は、動植物種の推定にラグランジュの未定係数法を使用しており、原理的な誤りがある。従って、比定された動植物種の確実性に疑問があり、以降の解析結果や考察は無意味で、総括の内容は誤りと判断される。
 第二に奇異に感じるのは、残存脂肪酸分析という質の分析で、何故、一日に食べた食物の量がわかるのか?ということである。糞石の残存脂肪酸分析により、脂肪酸組成は得られるが、一日に食べた量は特定できない筈である。何らかの仮定を置いたなら、それを明記すべきであろう。脂肪酸分析から一日摂取量を算出した方法は、報告書に記載されていない。日本農芸化学会大会で発表した模様だが、その講演要旨集(27)にも、記載はない。

 2 常識外の一日摂取量
 文献(26)原図4では、一日分の摂取量として、蛋白質596.6g、脂質73.9g、糖質596.6gという数値が記載されている。この数値は常識外の数値であり、蛋白質の摂取量は現代人の一日の栄養所要量の十倍近くにも達する量である。このような常識外の量を縄文人が摂取していたとは信じられず、データ解析に誤謬があると判断される。

3 根拠不明な動植物種の推定
 動植物種の推定にラグランジュの未定係数法を使用するという原理的な誤りに加え、「脂肪酸分析から、シカ、イノシイ、タヌキ、イヌ、ニホンザル、アザラシ、クジラ等のの動物を同定し、残存脂質の含量と動植物種の混合割合から現代栄養成分表と照合して縄文人の栄養成分を復原した」というが、「科学技術庁資源調査会編集:日本食品標準成分表」には、タヌキ、イヌ、ニホンザル、アザラシは食品素材として掲載されていない。算出不能の筈である。他の特殊な“現代栄養成分表”を用いたのなら、出典を明記すべきである。
 以上の検証結果からは、"縄文人はバランスのとれた食生活をしていた"ことの根拠によく引用されるこの報告は、動植物種や一日摂取量の推論過程に問題があり、信頼できない。
 なお、紹介した縄文クッキー、糞石の他に、食品炭化物3例、土壌1例についても残存脂肪酸分析の結果を検討したが、ここでは省略する。いずれも客観的、科学的とは言い難いものであった。ネット上で公開(5)されているので、関心ある方は参照されたい。

6.残存脂肪酸分析は見直しを
 原理的な矛盾を内包し、成果にも疑問点が多々ある「残存脂肪酸分析」が、考古学において定型的分析法の一つとして重視され、存続していたことは、食品化学の立場からは不思議に思える。
 この原因の一つは、理系学者が理系学術誌に手法の紹介や学術報告を提出せず、そのために同分野学者の注意をひくことなく、いわば無審査状態であったことによるためと思われる。
 考古学関係者が理系学者の報告の結論だけを鵜呑みにし、それを得た経緯に対する関心が不十分なことも原因の一つであろう。
 古代の脂質が残存し、分析できることは確かである。問題は、そのデータの数値から何が合理的に読みとれるかである。脂質に詳しい食品化学者の知恵が望まれる。
 いずれにせよ、これまでの「残存脂肪酸分析」の成果と、それから構築された古代像は再検討すべきであろう。特にラグランジュの未定係数法を用いた成果はご破算にすべきである。
 
7.考古学と食品化学
 食品化学の立場から考古学の食の世界を眺めてみると、「残存脂肪酸分析」の場合と逆に、もっと重視されて良いと思われることが、考古学の世界では軽視されている場合もある。
 例えば、調理技術と可利用食糧資源の関係である。厚生省の「栄養所要量」から、18~29歳のエネルギー所要量、蛋白質所要量、全摂取エネルギーに占める脂肪のエネルギー割合等を基に計算すると、エネルギー摂取に対する炭水化物の寄与率は61~65%となり、非常に大きい。炭水化物としては、糖類もあるが、米、麦など主要穀類や芋の炭水化物の殆どは澱粉である。
 澱粉含有資源を利用できたか、どうかが、古代人の栄養や人口推移に大きく影響したであろう。
 植物の生産する生澱粉は結晶状態のβ型であることは周知のことである。蛋白質は刺身や生卵のように生でも消化できるが、結晶状態のβ型澱粉には消化酵素は作用しにくい。澱粉の消化吸収には無定型状態のα型澱粉にする操作が必要となる。結晶状態を保つ原動力である澱粉の分子内および分子間の水素結合を破壊するには、十分な水分が存在する状態で高温にする、つまり、煮る操作が必要になる。
 歴史的に見れば、人間は火を使いモノを焼く技術により、魚や動物肉がおいしくなることを知った。結果的に殺菌や保存にも効果があったので、他の動物より種の維持、拡大に有利な地位を占めるのに役だったと思われる。
 但し、モノを焼く技術は、植物食材に対してはあまり意味が無かった。アワ、キビ、ソバをそのまま焼くことはできないし、クリのような大型果やイモ類も直火で焼くのではなく、灰に埋めるとかの間接的な方法が必要であったであろう。従って、焼く技術の時代には、植物食材やそれに含まれる澱粉を有効に利用できなかったと思える。
 地面に掘った穴に焼け石を放り込んで加熱するような非効率的な煮る技術は、土器出現以前にも有ったかも知れないが、人間が効率的な煮る技術を獲得したのは土器の出現による。煮る技術により初めて、アワ、キビ、ソバ等が利用できるようになったし、クリ、ドングリ、トチの実の能率的な処理も可能になった。
 土器が出現した縄文時代は、人間が煮る技術を獲得し、植物資源を有効利用できるようになった時代、β型澱粉→α型澱粉の変換により澱粉エネルギーの利用が初めて可能になった時代、但しその供給を自然に依存した時代との定義もできよう。植物食材の利用により、食糧資源は大幅に拡大したことになる。
 縄文の食に詳しい考古学者が著した考古学の一般書(28)で、煮沸の利点として挙げているのは、「栄養分の損失の減少、小型動植物を集めて処理、複雑な味の生成、素材の軟化、殺菌・殺虫、有毒物・アクの分解」である。
 一般向けの本ではあるが、煮る技術の解説において、現代人のエネルギー源の60%以上も占める炭水化物の主体である澱粉の消化を可能ならしめた重要性、植物資源の有効利用が可能になった事による可利用食糧資源の拡大への寄与に言及しないのは、食品化学から見れば不思議である。
 考古学では、土器の出現を煮沸によるドングリのあく抜きと関連付けするのが主流のようである。あく抜きは渋みのあるドングリのタンニンを除去するための手段であるが、煮沸があく抜きに必須のように見なされ、ドングリのあく抜きには、100回以上の繰り返し煮沸が必要で、初期の深鉢型土器はそのためのものと考古学では主張(29)されている。
 しかし、鳥取県食品加工研究所の報告(30)によればドングリのアク抜きはもっと簡単である。ドングリ類の中で、最もアクが多く、タンニン含量が最も多いミズナラでも、水浸漬、磨砕、磨砕液の濾過、濾液の静置による粗澱粉沈澱、水さらしの3回繰り返しで、炭水化物以外の成分が良く取り除かれ、タンニンが少ないドングリ澱粉を得ている。
 このアク抜き方法は非常に簡単であり、この報告と類似の操作は古代でも可能であろう。実際にどのようなアク抜き技術が用いられたか不明である。
 100回以上、水を取り替えての煮沸に要する時間は莫大なものとなろう。考古学の性格上、特定の事例から一般則を推測するのはやむを得ないが、アク抜きには100回以上の繰り返し煮沸が必要であったという実験考古学での特定の経験を普遍化し、絶対視するのは如何なものであろうか?
土器の出現による「煮る技術」(蒸す、炊くも含めた加水・加熱調理技術)の獲得は、澱粉のα化を可能にし、食糧資源の画期的な拡大をもたらしたことを、考古学はもっと重視すべきと思う。アク抜きに拘泥しては縄文人の大発明である土器の意義が矮小化される。
 縄文時代は、澱粉資源の利用を可能にした土器が初めて出現した時代で、食糧エネルギー獲得の面からは、いわば人類の第一次食糧革命の時代と言えよう。農耕による澱粉資源供給が可能になった時代が第二次食糧革命、化学肥料の出現により農業が無機養分の自然依存から脱却し、穀類収量が急増した時代が第三次食糧革命と見ることもできよう。
 
8.おわりに
 さて、考古学における食に関連する話題の一部を紹介したが、不審点の多い手法が通用してきたこと、もっと重視されて良い事項が軽視されていること等、考古学の世界には、食品化学から見れば不可思議なことが多い。三内丸山遺跡の食糧問題や酒醸造の問題等にも、いろいろな疑問を感じているが、別の機会に譲ることにする。
 考古学の食の部分では、食品関係者の視点での検討が望まれる。古代の食生活の科学的解明には、食品関係者の積極的な参加が不可欠と考える。
 なお、私は化学ならびに食品企業の研究部門に在籍していた化学系技術者であるが、脂質を研究対象にした経験はなく、考古学掲示板に参加するまで、考古学に縁が無かったアマチュアである。従って、以上の記述に曲解、曲論があるかと思われるが、ご指摘いただければ幸いである。なお、縄文の雰囲気を伝えるカットの絵は、上野学画伯のご好意によるものである。

参考文献・情報源
23)山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館:
http://www.pref.yamagata.jp/ky/ukitamu/kyuk0002.html
24)中村耕作:「re(1)縄文クッキーの組成についての疑問」『南河内考古学研究所・喫茶室 記事記録No.1』[897] (2001.06.06)
25)福島道広、中野寛子、中岡利泰、中野益男、根岸孝:「残存脂肪酸分析法による原始古代の生活環境復原―とくに東北地方の縄文時代前期遺跡から出土したクッキー状炭化物の栄養化学的同定(日本農芸化学会東北支部・北海道支部合同秋期大会講演要旨B-9(1987年、p15))」『日農芸化学会誌』62,119(1988)
26)佐原眞・中野益男・西本豊弘・松井 章・小池裕子:「原始古代の環境復原に関する新方法の開発(課題番号01300020)」『平成2年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書』(1991)
27)中野益男、福島道広、中岡利泰、根岸孝、中野寛子、明瀬雅子、長田正宏:「糞石の残存脂質による縄文人の食の栄養化学的復元(1991年日本農芸化学会大会(講演番号3Tp2)」『日本農芸化学会誌』、 65、577(1991)
28)『縄文探検』p94(小山修三、1990/4、くもん出版)
29)『卑弥呼の食卓』p116、p123~124(大阪府弥生博物館編、平成11/8、吉川弘文館)
30)松本通夫、山下昭道、松田弘毅、有福一郎:「ドングリの利用技術と澱粉の特性」
(鳥取県食品加工研究所/平成8年度研究)
http://www.affrc.go.jp/ja/db/seika/data_cgk/h08/cgk96101.html
(註1)『南河内考古学研究所・喫茶室』:http://cgi.skao.net/kissa/


食の科学、No.296(2002年11月),p48-55 [出版社:(株)光琳 03-3875-8671]


 【食品化学余話】 三内丸山”縄文都市”の食糧問題
−クリは栽培されていたか?− 山口 昌美



【三内丸山遺跡】
 三内丸山遺跡(1)は面積約39ヘクタールの日本最大の縄文集落の跡で、国の特別史跡に指定されている。青森市の西南、駅からタクシーで15分程度の距離にある。平成4年度から始まった青森県営野球場建設に先立つ発掘調査で、規模の巨大さが確認され、球場建設は中止、遺跡の本格調査が行われた。三内丸山遺跡の集落は今から約5500年前から4000年前まで(縄文時代前期から中期まで)の1500年間の長期にわたって継続して営まれたとされる。
 三内丸山遺跡は、居住域、高床倉庫群、大型掘立柱建物、廃棄ブロック、大人の墓地、子供の墓地などの配置に規則性があり、いわば「都市計画」が存在し、巨大木を取り扱う「高度な土木建築技術」が存在したとされる。さらにヒスイなどの「広域的な交易」、漆器など「高度の加工技術」、多様な食生活が指摘されている。獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、細々と暮らしていたという従来の貧しい縄文人のイメージは、三内丸山遺跡の出現により一変した。そして、縄文都市、縄文文明との表現まで表れ、三内丸山には約五百人が居住していたとの説(2)(3)が唱えられている。

【三内丸山人の食と酒】
 三内丸山の縄文人がどのようなものを食べていたのだろうか?その食生活については遺存している廃棄物の分析や地層の花粉分析などから推定されている。縄文前期と推定される地層に残されていた花粉分析の結果、クリの花粉が八割以上を占めていた(4)ことやクリの実のDNA分析から、クリが栽培されていたとの説(5)が提出され、専門家間での異論はないようである。また、イネ科植物であるイヌビエのプラントオパールが遺跡から大量に見つかっており、食料にしていた可能性が議論(6)されている。マメ類やゴボウ・エゴマ・ヒョウタンなども栽培されていたとの説(1a)もある。狩猟や漁労による獲物としては、三内丸山遺跡ではムササビやノウサギなどの小動物が多く、魚類ではマダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・サメ類などが多いことが報告(1a)されている。
 また、エゾニワトコやサルナシ・クワ・キイチゴなどの種子が、まとまって多量に出土し、発酵したものに集まるショウジョウバエの仲間のサナギなどと一緒に出土していることから発酵による果実酒の醸造(7)、さらには蒸留酒の製造(8)までが唱えられている。
さて、このようなバラ色の夢に包まれて語られる三内丸山の縄文人の生活であるが、その実態はどうであろうか?そのような説は、合理的な根拠に基づいて唱えられているのであろうか?
 本稿では、三内丸山の食糧問題について、一般的に唱えられている説の根拠を検証し、その合理性を確認してみたい。検討対象としては、500人の主要食糧とされるクリまたはヒエの生産量の問題、DNA分析とクリ栽培の問題、ニワトコからの蒸留酒の問題の3点を取り上げることにする。

【五百人はクリで生活できたか?】

 三内丸山の縄文人の主要食糧がクリであったという前提に立ち、三内丸山のクリ生産量に関する試算が考古学関係者により二つ報告されている。

 1.これまでの報告
☆三内丸山のクリ生産可能量
 その報告の一つは、三内丸山のクリ生産可能量の推定で、新美倫子氏(名古屋大学)の報告(9)である。つまり、三内丸山の縄文人が利用可能であったと想定されるクリ林の面積とそこから得られるクリの量を試算したものである。試算の基礎は、縄文人の行動範囲を半径10kmの円とし、そのうち三分の一を海として控除した残りの面積200平方キロ、その面積の10%がクリ林、クリの密度は10mおきに1本、クリの総本数20万本、1本からのクリ生産量4Kgとしている。
 この試算によると、三内丸山の縄文人の利用可能な範囲のクリ生産量は800トンになる。そして、所要エネルギーの80%をクリから摂取するものとして、大人が1年間に必要なクリの量は417kg、従ってクリ800トンからは1918人を養えると結論している。この試算では、クリだけでも二千人近くの扶養力はあり、さらに、クリ以外にもクルミ、ヤマイモといった植物性食料や魚類、鳥類、哺乳類が加われば、さらに多人数を扶養が可能になるとしている。

☆三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量
 二番目の報告は、三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量を推定した小山修三氏(国立民族学博物館)らの報告(10)である。一人一日の所要エネルギーを2000kcalとした試算では、一人一日あたり必要なクリ量は1282g、皮などクリの廃棄率を30%とすると必要なクリ量は1832gと計算された。
 五百人が一年に必要なクリ量は、334トンとなる。そして、334トンのクリの生産に必要な面積を514ヘクタールと試算している。三内丸山遺跡の面積は約39ヘクタールなので、五百人を養うにはその約13倍の面積のクリの純林が遺跡周辺部に必要となる。

  2.これまでの報告への疑問
☆三内丸山のクリ生産可能量
 さて、三内丸山のクリ生産可能量の新美氏の推定は、二千人近くの扶養が可能としているが、この推定の問題点は、実証データに基づいていないことである。行動範囲、クリ林比率、クリの本数、そしてクリ一本当たりの収量、いずれも想定値である。
 縄文人の行動範囲を半径10kmの円としているが、これは東京の山手線内部よりはるかに大きい。人の歩行速度は4km/時間程度なので、三内丸山の中心部から外周部への往復に5時間必要となる。クリが成熟する日の短い秋に、5時間歩行に取られると残りの実働採集時間は幾ばくもない。その内に降雪が迫る、リスなどの小動物による競合もあり、笹や下草に隠れた栗は拾えない、仮にクリ生産量800トンとしても縄文人が利用できる量はその一部であろう。
 栗が落ちてから降雪までの日数を考慮すると、200平方キロから人力で800トンの栗を中心部まで運び込むのに一人当たりどの位の重量をどのくらいの距離を運搬しなければならないか、試算すると、不可能に近い数値になる。栗生産量と人の利用できる収穫量とは異なることに留意する必要があろう。
 さらに、クリ一本当たりの生産量を4kgとして試算しているが、その後に発表された新美氏自身の野生クリ19本の実測値に関する報告(11)では、一本当たり生産量が1kg未満のクリが15本、1〜2kgのクリが2本、2kg以上のクリは2本であり、新美氏の当初の想定値より小さい。
 当初の試算は、三内丸山でのクリによる扶養最大人数の目処を示した点で評価されるが、前提に想定値が多く、前提抜きの結論だけが一人歩きするのは問題であろう。

 
 ☆三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量
 三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量334トンを推定した小山氏の試算(10)は、推定根拠、推論過程とも合理的である。そして想定したクリ生産に必要な面積514ヘクタールも現在のクリ産地の実績(茨城県岩間町1.07トン/ヘクタール)(12)から見ても妥当な数値と思われる。
 推論が合理的であれば、次は、その推論が発掘により実証されているかということになる。三内丸山遺跡周辺で514ヘクタールのクリ純林の痕跡が発掘により実証されているかどうかということである。514ヘクタールといっても実感はわかないが、18ホールのゴルフ場の総面積が100ヘクタール位なので、ゴルフ場5つに相当する広大な面積である。わずかな面積であれば遺存しているクリ花粉の検知は困難だろうが、この広大な面積であれば検知は容易であろう。
 しかし、三内丸山遺跡の外部でクリ花粉の計画的な検知を試みた報告はないようである。三内丸山遺跡で、クリの花粉が花粉全体の80%も占めていたという報告(4)が出回っているが、それが三内丸山全域をメッシュに区切って検出した三内丸山を代表できる平均値なのか、特定地点のある地層の検出値なのか、判然としない。統計的なサンプリングの思想が、考古学の試料設定ではあまり考慮されていないように見える。三内丸山云々と全体を議論するなら、それなりのサンプリングが必要であろう。ある一カ所の測定値を全体に敷延し、議論するのは合理的とは言えない。
 現状では、三内丸山遺跡内部でクリが優勢であったとは言えようが、遺跡内部の約20%程度を占める[(13)の図から判読]に過ぎず、五百人の生存に必要なクリが存在していたという証拠はない。三内丸山遺跡周辺部で、ゴルフ場5つに相当する広大な面積からのクリ花粉が確認されない限り、五百人クリ扶養説は疑問であろう。 

【五百人はヒエで生活できたか?】
 イネ科植物であるイヌビエのプラントオパールが三内丸山遺跡から大量に見つかっており、食料にしていた可能性が高いとされる(6)。五百人のエネルギー源をヒエに依存した場合、必要な面積はどのくらいになるであろうか?
 小山修三氏らの試算(10)では、ヒエの廃棄率40%を考慮すると一人一日あたりの所要量は902g、五百人、一年間では165トンのヒエが必要とされている。そして、昭和20年前後の収量である1ヘクタールあたり3.06トンを用い、所要面積54ヘクタールを算出している。
 作物の生産性は、土地の無機養分からの制約を受ける。人為的な無機養分の補給が可能になった昭和年代と異なり、三内丸山の縄文時代は無機養分を自然界の輪廻に依存していたわけである。従って所要面積には修正が必要であろう。
 山口淳一氏(北大)の論文(14)によると、焼畑農法では無機養分の回復に休耕期間が必要となり、焼畑農法による土地の人口扶養力は、ヘクタールあたり最大限0.4人とのことである。五百人では1250ヘクタールの面積が必要になる。
 これらの所要面積は三内丸山遺跡の面積39ヘクタールよりはるかに多く、三内丸山周辺の広範囲にわたってヒエ畑が展開していなければならない。三内丸山周辺のヒエのプラントオパールの拡がりがどのくらいか、調査した報告はなさそうである。ヒエの場合も、遺跡の特定場所の特定地層でヒエのプラントオパール見出されたことを根拠に、「三内丸山では、…」と全域の話に論理を飛躍拡大させている気配がある。ヒエ食糧説を説得性ある姿にするには、三内丸山周辺のヒエのプラントオパールの拡がりを調査する必要があろう。

【クリは栽培されていたか?】 
 佐藤洋一郎氏(静岡大)が、三内丸山遺跡から発掘されたクリのDNAのパターンの揃い具合から、クリに人間の関与があり、クリが栽培されていたとの説(15)を打ち出したのは有名な話で、専門家間で定説化しているようである。これに対し「発見されたクリは、一つの木に実ったものであるからDNAが揃っている」との疑問が当初提出されたようだが、佐藤氏は「栗が自家不和合性を持ち、自分の花粉では受粉できないので、一つの木に実ったものでも、ばらつきがある」と反論し、反対論は影を潜めた。
 佐藤氏が用いたクリ試料は、遺物のクリ試料が三内丸山第712号土坑出土のクリ子実21個、対照として用いたクリ試料は三内丸山遺跡を中心とする半径10キロメートルの円内で採取した野生のクリ20株から採った葉を用いている(16)。同一箇所からの出土品ということで、一つの木に実ったものでは?との疑問が投げかけられたわけである。佐藤氏は、平均遺伝子多様度とか、他家受粉を持ちだして、反論を論破した。
 しかし、数ヶ月前の考古学掲示板(17)で、佐藤氏説の根本に関わると思われる疑問が提出された。それは、「佐藤氏が分析に用いたDNAは核DNAなのか?細胞質DNAなのか?」という疑問である。
 一般に細胞核に収納されている核遺伝子は父親と母親から半分ずつ受け継いだものであるが、ミトコンドリア、葉緑体等の細胞質遺伝子は母親からしか受け継がないという特徴を持つ(18)とされる。
 クリは他家受粉なので、核DNAでは、同一母木でも父木の差による変異があり、佐藤氏の説が通用する。しかし、葉緑体等の細胞質DNAであれば、父木の影響を受けず、母木からしか受け継がないので、同一母木であればDNAパターンは揃う筈である  このあたりに関する佐藤氏の説明は見あたらない。佐藤氏が分析したのが細胞質DNAであれば、細胞質DNAは母性遺伝するので、同一のクリの木から採れたクリの実のDNAは揃って当然と思える。栽培云々の問題ではなく、クリの母本が同一だっただけの話である。野生のクリは三内丸山周辺から集めたので、母本が違うので、細胞質DNAにバラツキがあって当然であろう 。
 本誌読者にはバイオや遺伝に詳しい方も多いかと思うが、是非の判断、ご意見を戴きたいものである。なお、佐藤氏は現在のクリの木で、同一母木でもDNAパターンがばらつくことを確認したとしているが、試料は第三者の手を経た試料であり、その論文は外部者が閲覧困難な修士論文である。(19)
 佐藤氏が測定したのが細胞質DNAか、または由来不明の場合には、DNAの均一性は、人による改良とか、栽培の話には繋がらない。佐藤氏は測定したのが核DNAか、細胞質DNAか、不明なのか、はっきりさせる必要があろ う。
 なお、「生物のDNAの大部分は細胞の核内にあるが、それらを分離するのは古い試料では困難なので、核外の細胞内小器官(植物の葉緑体、動物のミトコンドリア)のDNAがもっぱら利用されている」(20)、「炭化種子の状態にもよるが,細胞の中のコピー数の多いものは崩壊を免れているものもあり,その意味で色素体DNA(葉緑体にあるDNA,細胞中にかなりのコピー数がある),ミトコンドリアDNA(動物にもある)が標的となりうる…中略…このように確率的には色素体の方が成功しやすい」(21)の指摘もある。
 このような指摘からの類推では、佐藤氏は細胞質DNAを測定した可能性が強い。測定したのが細胞質DNAであれば、DNAパターンが揃っていたからクリを栽培していたという佐藤氏の説は成立しない。
 佐藤氏が核DNAを測定していた場合でも、栽培説の他に、同一母木からの採集品という可能性が残されていることに留意すべきである。クリの花は、植物学者は虫媒花とし、その受粉は虫の媒介によるとしているが、実際の栽培に携わる農業関係では風媒花と見なしている(22)(23)(24)。農家では、結実向上の為の受粉用品種を混植するが、茨城農試の研究では13. 5m以上離れると受粉樹の影響は認められないとのことである(22)。換言すれ ば、クリの核DNAが影響を受ける父木は13.5m以内の樹だけとなり、特定の母 木に注目すれば、父木の組合せは無限の組合せでなく、非常に限定されることになる。同一 の母木から採集したクリのDNAパターンが揃う確率は高いと思うが、如何なもので あろうか。

【蒸留酒が製造されていた?】
 1.これまでの報告
 
今年3月17日付けの東奥日報は「三内丸山びとは蒸留で酒造り?」という記事(25)を掲載した。その記事は、3月21日青森市で開かれる三内丸山遺跡報告会(青森県教委主催)で発表予定の佐藤洋一郎氏(静岡大)と石川隆二氏(弘前大)の報告の概要であった。記事内容を箇条書きで示すと
(1)三内丸山出土のニワトコの炭化種子をDNA分析にかけたところ、エゾニワトコに近い種類であることを見出した。
(2)エゾニワトコはアルカロイドと呼ばれる水溶性の毒性成分を含むことから、食用には適さないとされる。
(3)有毒なエゾニワトコでは、三内丸山でニワトコは酒造に使われてきたという通説が成立しなくなる。
(4)だが、「祭祀(さいし)性が極めて強い三内丸山という大規模集落で、祭りという儀式に不可欠な酒が造られていなかったとは考えにくい。
(5)従って、三内丸山人はエゾニワトコの毒性成分を取り除く技術を持っていた可能性が高く、三内丸山人は単純な発酵酒ではなく、アルコール度の高い蒸留酒を造っていた可能性がある。 記事内容はネット上で閲覧できる(25)ので、確認いただきたい。
【これまでの説への疑い】
 三内丸山で酒醸造が行われていたという通説は、三内丸山の生活廃棄物捨て場から、ニワトコの種子及び発酵物を好むショウジョウバエの蛹らしきものが出土したという事実からの推理である。(7) 
 ところが、岡田茂弘氏(東北歴史博物館)の「縄文の酒」(26)によると、ニワトコの実は糖度が低いために酒を造れず、辻誠一郎氏(国立歴史民俗博物館)は、エゾニワトコの実を乾燥して糖度を高め、煮出し汁を自然発酵させアルコール度数2度の酒を得たとのことである。青森教育庁三内丸山遺跡のホームページ(1a)でも、ニワトコの実を乾燥して糖度を高め、煮出し汁とニワトコの実を分離し、煮出し汁を発酵したイラストが出ている。辻氏の実験やこのイラストに従うと、発酵したのは糖度を高めた煮出し汁である。分離したニワトコの実自体は発酵と縁が無い状態で廃棄されたことになる。
 ニワトコの種子及び発酵物を好むショウジョウバエの蛹らしきものが一緒に出土したから、ニワトコから酒醸造をしていたとの説は根拠を失う。何らかの用途で用いたニワトコ廃棄物が腐敗し、それにショウジョウバエが群がったと考えた方が矛盾が少ない。
 前記(1)〜(5)からは、「三内丸山人は酒を造っていた筈」という強い思いこみを感じるが、論理の合理性は如何なものであろうか?真実に近づくためには、種々な推測があっても良いと思うが、理系学者の第一の責務は、考古学者の推測の基になる客観性ある事実を理系の立場で提供することであろう。
 例えば、エゾニワトコの毒性成分であるアルカロイドとは具体的には何か?その毒性は急性毒性か、慢性毒性か?どんな中毒症状を起こすのか?毒性の程度は?エゾニワトコ中の含量はどのくらいか?果実酒はどの位の糖濃度の果実からなら製造可能なのか?エゾニワトコの糖濃度は?糖組成は?など、出典を明示しながら提供することが理系学者の役割であろう。
 これらの情報を提供した上で自説を展開することは結構と思うが、これらの理化学的根拠の呈示なく、「祭祀性が極めて強い三内丸山という大規模集落で、祭りという儀式に不可欠な酒が造られていなかったとは考えにくい」との発言は唐突であり、馴染めない論理展開である。客観性ある理化学的な情報が提供されれば、考古学関係者が酒造原料とか蒸留酒とかとは異なる別の推測を考えつくこともあり得よう。
 因みに、インターネットでエゾニワトコの毒性について調べると、エゾニワトコに関するホームページは多数あったが、毒性を明記した情報は得られなかった。鳥が食べる旨の記載はいくつかあったので、鳥には無毒なのか、それともアルカロイド云々は伝承的な説で実証されていないのか。ニワトコのレクチン(植物に存在する糖結合蛋白質)の構造が、毒性の植物蛋白であるリシン(ひまし油を採取するヒマに存在)などと分子進化的に深い関連を有するとの記載(27)がある。もし、エゾニワトコにあるとされる毒性がアルカロイドでなく、レクチンに由来するものであれば、レクチンは蛋白質なので、醸造中に酵母により分解される可能性が高く、「蒸留技術」は必要でなくなる  エゾニワトコ=酒原料が定説化しているが、その他の説はないのだろうか?エルダベリー(=ニワトコ)の果実より搾汁又は抽出して得られる色素は食品添加物(着色料製剤)で、特異なにおいを有する液体で酸性域で鮮明な赤色を呈する(28)とのことである。縄文ポシェットを作ったおしゃれな三内丸山人好みの染料になるのではと思う。エゾニワトコは利尿、かぜの薬用になるとの記載(29)もある。
【おわりに】
 大きい(遺跡規模)、長い(居住期間)、多い(遺物量)とのキャッチフレーズで華々しく登場し、縄文都市、縄文文明などの概念を産んだ三内丸山遺跡は、現在、そのキャッチフレーズや概念に対する反省期に入った感を受ける。今年になって開設された青森県教育庁の三内丸山遺跡ホームページ(1a)では、キャッチフレーズは姿を消した。
 考古学の食の世界において、一般論から一歩足を踏み入れると、不思議な論理が展開されている場合が多い。事実の一意的な解釈、特定例の拡大解釈などである。食品関係者が考古学の食の世界に目を向けることにより、これらは是正されていくと思われる。

参考文献・情報
(1)三内丸山遺跡関係の主要ホームページ
  a .青森県教育庁文化財保護課HP(三内丸山遺跡):http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
  b.青森県HP(三内丸山遺跡へようこそ):http://www.pref.aomori.jp/sannai/
  c.青森銀行HP(三内丸山遺跡):http://www.capa.ne.jp/a-bank/maruyama/
  d.東奥日報HP(三内丸山遺跡):http://www.toonippo.co.jp/kikaku/sannai/
(2)「縄文都市を掘る」p36(編集/岡田康博・NHK青森放送局、1997.1、日本放送出版協会
(3)http://www.komakino.jp/500-tanzyo/500-tanzyo.htm
(4)「遥かなる縄文の声」p55(岡田康博、2000.8,日本放送出版協会
(5)「遥かなる縄文の声」p63
(6)「縄文都市を掘る」p43
(7)「遥かなる縄文の声」p71
(8)http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0317/nto0317_8.html
(9)新美倫子「三内丸山遺跡のテリトリーと食用資源」(史跡三内丸山遺跡年報3、p59、青森県教育委員会、平成12年
(10)小山修三、五島淑子「日本食史−米食の成立まで−」(大阪府立弥生文化博物館編”卑弥呼の食卓”p80、吉川弘文館、平成11年
(11)新美倫子「愛知県小原村における野生クリの採集調査」(史跡三内丸山遺跡年報4、p40、青森県教育委員会、平成13年
(12)http://www.net-ibaraki.ne.jp/odaki/kuri0.htm
(13)「遥かなる縄文の声」p54の図(岡田康博、2000.8,日本放送出版協会
(14)山口淳一 「肥培管理からみた持続的農業生産の成立要因」(平成9年度科学研究費補助金研究成果報告書「持続的農業経営システムの確立と食糧供給力への影響予測」(基盤研究(A)(2)、課題番号09356006)p1〜p2 3
(15)「縄文都市を掘る」p163
(16)佐藤洋一郎「三内丸山遺跡出土のクリのDNA分析について」(史跡三内丸山遺跡年報(2)p13、青森県教育委員会、平成10年
(17)「こまきのいせきものがたり」掲示板2(専門) No139,140等:http://www.happy-web.ne.jp/mbspro/pt.cgi?room=komakino
(18)http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/books/dm2000/japanese/02/02-11.html
(19)佐藤洋一郎「縄文農耕の世界 DNA分析で何がわかったか」p61、(2000.9 PHP研究所)
(20)http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Bio/200105/15-3.html
(21)http://nature.cc.hirosaki-u.ac.jp/lab/1/plantbrd/sannai/DNAkouko.html
(22)竹田功「クリ-栽培から加工・売り方まで」P35(1996/11、農村漁村文化協会)
(23)茨城県農業総合センター:http://www.agri.pref.ibaraki.jp/center/index.htm
(24)岐阜県中山間農業技術研究所:http://www.cc.rd.pref.gifu.jp/c-agri/seika/seika02b.htm
(25)http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0317/nto0317_8.html
(26)岡田茂弘:「縄文の酒」http://www.thm.pref.miyagi.jp/I04/data/20000115.pdf
(27)http://ss.abr.affrc.go.jp/organization/Biotechnology/0708/
(28)http://www.yaegaki.co.jp/bio/book/html/28.html
(29)北海道の薬草一覧:http://www.doyaku.or.jp/kenkou/yakusou/yakusou008.htm


   表1  縄文クッキーの栄養成分表(6)
         現代クッキー     縄文クッキー     縄文クッキー
                    (クッキー型)     (ハンバーグ型)
エネルギー (kcal)   492      430       471 
水分    (g)       3        3.2       6.3 
蛋白質   (g)       5.2     18        66.4 
脂質    (g)      21.8      7.4      11.7 
炭水化物  (g)      68.6     71.4      15.6 
カルシウム (mg)      26      250        368 
りん    (mg)      50      222         47.7 
鉄     (mg)      0.3     575      1120 
ビタミン類*        0.06    80.46    148.06 
ビタミンA (IU)       0       60        141 
ビタミンB1 (mg)       0.04      0.32      1.16 
ビタミンB2 (mg)       0.02      0.44      0.4 
ビタミンC (mg)      0        19.7        5.5
*山口私註:ビタミン類の単位は記載されていないが、試算すると、数値はビタミンA〜ビタミンCの数値の合計となっている。(mg)と(IU)という単位の異なる数値を足し合わせた不可解な数値である

この表は、食の科学、No.295の原文にはありません。山口さんからのご要望により追記したものです。


  この論文は「食の科学」No.295(2002年9月)、No.295(2002年10月)、No.296(2002年11月)に連載されたものです。著者の山口昌美さんからデジタルデータの提供を得、また、出版元-(株)光琳の了解を得ましたので、ここに公開できる運びとなりました。関係者の皆様方のご協力にあつく感謝申し上げます。
 なお、○に数字などが入ったいわゆる「機種依存文字」は、文字化けしますので適宜、変更させていただきました。ご了承ください。また、ネット上に直接リンク可能な文中の註については、閲覧者の方の便宜を考えて、案内人の方でリンクを設定させていただきました。


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