平賀町太師森遺跡2002年現地説明会速報

 今から約4000年前の縄文時代後期の環状列石で有名な平賀町太師森遺跡の2002年の現地説明会が多くの見学者を集めて、7月27日に開催されました。以下に、その概要についてお知らせします。

説明会風景
環状列石遠景
組石
組石
遺物出土状況
太師森から遺跡を望む


現地説明会配付資料(平賀町郷土資料館)

〔1〕はじめに
 太師森遺跡(たいしもりいせき)は,昭和16年に地元の郷土史研究家・故葛西覧造氏により新聞紙上に発表されたて周知の遺跡として著名です。昭和58年に送電線用鉄塔の用地として西側斜面を発据調査した経緯があります。
 平成12年から5カ年計画で発掘調査を継続しており,今年で3年目となり,5月14日から8月10日までの予定で調査を実施しています。

〔2〕今年の調査ポイント      ′                           
  1.配石が環状,すなわちストーンサークルとなるのかを確認
  2.自然地形をいつの時期に削平してストーンサークルが構築されたのか     
  3.遺跡の構成時期の確認
  4.配石の中心部分の確認と周辺部の諏査

〔3〕遺跡の特徴
 標高210m〜250mの部分は急斜面で,標高260mからほぼ平坦になり,環状列石は平坦面のほば中央を占有するように構築されています。住居跡や埋葬に関係した建物捗は環状列石の周囲にあるものと思われます。東側の背後には標高290mの急斜面を有する小高い山(太師森)があって,頂上は直径10mほどの平坦面になっていて,その中央が平賀町と黒石市の境界となっています。この山頂部からは環状列石が眼下に見下ろせる状態にあり,両者には因果関係があると思われ,これまでの環状列石の遺跡には見られない地形となっています。


〔4〕今年度の調査から(その成果)
1. 環状列右(ストーンサークル)の北側と北西部の列石を確認し,環状(直径約40m,東側の張出部分を含めると東西方向には約45m)に列石が配置されていることが確認された。
2. 環状列石の北側・東側・南側の斜面にトレンチを設定して調査した結果,縄文時代前期・中期・後期の遺物が大量に出土し,特に南側の斜面からは数多くの遺構(土坑,住居跡,柱穴など)が検出された。
3. 環状列石の中心部分から初年(平成12年)に引き続き埋設土器棺(カメ棺)が出土したが,平成12年に出土した埋設土器棺に隣接する位置で出土した。また,北側の環状列石内からも埋設土器棺が出土し,総数で3個体となったが,別個体の破片も確認されているので,今後の調査で総数は増加するものと思われる。
4. 環状列石の北側と北西部の列石には特に巨大な石が使用されているが、岩木山との関連性も考慮される。
5. 環状列石の構築が二層構造を呈すると推測されることから,縄文時代後期初頭(約4000年前)に最初の構築がなされ,ある程度の時期差を経て再構築されたものと考えられる。

〔5〕今後の課長
  1.削平時期の特定
  2.環状列石の周囲の遺構確認
  3.削平部分及び周囲の時代別利用方法の確認
  4.環状列石の石材の集積範囲の確認,他


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