平成12年7月21日(金)の午前9時30分から、平賀町太師森遺跡(たいしもりいせき)の現地説明会が約80名の見学者を集めて開かれれました。案内人も何とか、時間のつごうをつけて現場にかけつけました。現場は平賀町の山奥にあることから、そこにたどり着くまでが大変で、道に迷ってしまい、やっとのことで遺跡にたどり着きました。

 くわしい内容は、下にありますが、高さ260mという高地に遺跡があり、遺跡のすぐ東には太師森という山
(標高290m)があります。今は周辺がうっそうとした林になっているため、視界をさまたげられ見えませんが、ほぼ西には津軽の霊峰(れいほう)・岩木山-いわきさん(標高1625m)が位置しています。津軽地方の環状列石は、岩木山がきちんと見えるが場所が選ばれている、とはよく言われていることなのですが、地形シュミレーションソフトで今回もそれが確かめられました。ここから少し位置をずらしただけでも、岩木山が見えなくなります。また、環状列石が発見された場所は、ほぼ平坦で、地質学の専門家によると自然地形ではこのようなたいらな面はありえないので、縄文人によって何らかの「土木工事」が行われたものと考えられています。

 環状列石は今からおよそ4000年前のもので、おびただしい数の川原石が使われています。おそらく、遺跡の下を流れる川から運びあげたものと考えられます。環状列石は内帯と外帯からなる二重構造になっていて、外帯の直径は約36mです。環状列石の中には、25基の組石が発見されていて、中には「日時計」型のものが多く見られ、「中心部に棒状の石をもつタイプ」と「中心部に板状の石をもつタイプ」の2タイプがあるようです。いずれも、直径は1m程です。環状列石は、上下に複層構造になっていて、かなり長期間、継続されて形作られたようです。また、この近くで竪穴住居跡が発見されており、竪穴住居跡が近くで確認されていない青森市小牧野
(こまきの)遺跡や秋田県鷹巣町(たかのすまち)伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡と対照的です。このことが、どのような意味を持つのか注目されます。
 
 調査は三カ年計画で始められ、今年はその最初です。工事などでこわされる危険性のない遺跡ですから、じっくりと問題点を整理して、次年度の発掘調査にのぞんでほしいものです。

遺跡の位置
遺跡から西を望む(目の高さ設定1m)-シュミレーション

説明風景

外帯

日時計型組石-中心部に板状の石をもつタイプ

日時計型組石-中心部に棒状の石をもつタイプ(中心の石は復元)

日時計型組石-中心部に棒状の石をもつタイプ(中心の石は復元)

環状列石の中心部の配石

甕棺の出土状況

出土遺物

先生・保護者の皆様方へ

太師森遺跡発掘調査現地説明会資料
(平賀町教育委員会)

〔1〕はじめに
 太師森遺跡(たいしもいせき)は、昭和16年に地元の郷土史研究家・故葛西覧造氏により新聞紙上に発表された"周知の遺跡"として著名です。昭和58年に送電線用鉄塔の用地として西側斜面を発掘調査した経緯があります。

 今回、遺跡の範囲確認と時期決定及び遺跡の性格を確認するため、東西方向と南北方向に十字型に5m幅の調査区を設定し、調査を実施しました。

〔2〕環状列石(ストーンサークル)遺構の可能性と配石遺構
 昭和58年の発掘調査で、配石遺構や住居跡の存在が確認されていたため、平成2年に青森山田高校考古学研究会がボーリング棒による探査を行ったところ地表下20〜30cmのところで石の反応があり、弧状に配列されていることがわかりました。

 平成3年に再びボーリング棒による探査を行ったところ、二重構造であることがわかり外帯の直径が約36m、内帯が12mの規模で更に東側に張り出し部分があることも判りました。

〔3〕遺跡の特徴
 
標高210m〜250mの部分は急斜面で標高260mからほぼ平坦になり、環状列石は平坦面のほぼ中央を占有するように構築されています。住居跡や埋葬に関係した建物跡は環状列石の周囲にあるものと思われます。東側の背後には標高290mの急斜面を有する小高い山(太師森)があって、頂上は直径10mほどの平坦面になっていて、その中央が平賀町と黒石市の境界となっています。この山頂部からは環状列石が眼下に見下ろせる状態にあり、両者には因果関係があると思われ、これまでの環状列石の遺跡には見られない地形となっています。

〔4〕今年度の調査から(その成果)
 
1.平成3年のボーリング棒による探査図面と今年の発掘調査区域を照合してみると、おおよそ合致しました。(東側の配石密度が濃いことと東側に張り出し部分があることなど)
 2.環状列石の構築されている平坦面は故意に削平され、その平坦面に環状列石や配石が構築されています。地表面から比較的浅いため、後世に人為的に移動された石材が多く確認され、その石材を除去すると当初構築された組石が確認されました。
 3.組石(配石)にはいくつかの種類(パターン)があり、細分類する必要があります。川の上流部の石材を多く使用しているため、角張った石がおおく、丸みを帯びた石が比較的少ないのも特徴的です。
 4.特殊な遺跡であるため、出土する遺物(土器、石器)も特殊な形状のものが多いのも特徴です。
 5.列石や配石が構築された時期は縄文時代後期前半と推定されます。
 6.当時の水場と思われる箇所も確認されました。

〔5〕今後の課題(来年度以降)
 
1.環状列石としての確認(全体像)と構築目的
 2.削平面の構築状況の確認
 3.太師森遺跡周辺の遺跡の確認(太師森遺跡を作った人々・集落の確認)


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