以前、秋田県鹿角市大湯環状列石を訪れたのは、いつのことだったろうか?それを思い出せないほど前のことになってしまった。少なくとも、ここ10年は訪れていない。
 その大湯環状列石で現地説明会が開催されるということで、案内人は「老体」にムチをうって、久しぶりの高速道路を走りました。11月3日の午後1時30分からの開始で、遺跡にようやく到着すると既にたくさんの見学者。100人程の人はいるでしょうか?中には職場の同僚や、青森県内や秋田県内の埋文関係者の方々の顔も見えます。教育長さんの挨拶に始まり、現場担当者の説明です。まずは、遺跡の環境整備が進んでいる「万座環状列石」です。普段、環状列石の中心部に立ち入ることができないのですが、今日だけは特別です。昔見たときは、周囲をフェンスが回っていて、中にはいることはできませんでした。直径45mの環状列石がぐるりと周り、その外側に8棟の復元された掘立建物跡が取り囲みます。4本柱のタイプと6本柱のタイプの2種類があります。発掘調査報告書などを見ますと、これらの建物は死者を一時的に安置する殯(もがり)を行った施設として考えられているようです。青森市上野尻遺跡では、環状に配置された掘立柱建物跡が20基発見されていますが、これらとどのような関連性があるのか注目されます。

 野中堂環状列石の中心部には、フェンスが巡らされていますが、今日だけは特別で、中に自由に出入りができます。有名な「日時計状組石」を初めて間近で見学させていただきました。今年、青森県平賀町太師森遺跡で発見されたものは、中心部の石が立っていたなら、さもありなん、というものでした。今年度は、環状列石のすぐ外側を発掘調査しましたが、建物跡や出入り口などが発見され、万座環状列石と同じような構造をもつことがわかったようです。竪穴住居跡が2軒発見されましたが、数の少なさから、環状列石を作った人たちが住んでいた住居群が近くにある可能性は、少なくなってきたようです。青森市小牧野遺跡も同じような状況にあり、両環状列石の類似性はますます高まってきました。

遺跡周辺の地形(50m等高線)
遺跡対岸の台地上空から遺跡を望んだ遠景(シュミレーション)

説明に聞き入る見学者

「万座環状列石」の全体

「万座環状列石」の遠景

「万座環状列石」を見学

楕円形の配石

環状列石と掘立建物跡

4本柱の掘立建物跡

6本柱の掘立建物跡

「野中堂環状列石」

「野中堂環状列石」のいわゆる「日時計」

入り口部の配石

竪穴住居跡

土器が散乱する土坑

竪穴住居跡

現地説明会資料

 大湯環状列石は、万座・野中堂環状列石を中心とした、今から4,000〜3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。万座・野中堂環状列石ようなとても大規模なものは大きな労働力と長い年月をかけなければ作り上げることができません。それらを作り上げることができた縄文時代には、それを支える豊かな生活力と文化力があったからということが環状列石の発見により示されました。
 そして、その貴重さから昭和31年に国の特別史跡に指定されました。
 以来、考古学者を初めとする多くの人々の注目を集め、様々な研究がなされ、現在では、環状列石を中心とした大規模な「まつりの場」として、訪れろ人々に感動を与えています。
 鹿角市では、これらまでの多<の研究と調査成果をもとに、平成10年度より環境整備事業を行っております。年々遺跡の姿が縄文時代のやさしい雰囲気に近づいてきています。

調査成果
【調査した場所とみつかった遺構】
 今年度は、野中堂環状列石西・南・南東側隣接地を調査しました。調査では柱穴状 ピッ卜231個、建物跡4棟、配石遺構1基、配石列1条、竪穴住居跡2棟、石囲炉2基、焼土遺構34基、フラスコ状土坑(貯蔵穴)33基、土坑59基、Tピット(陥し穴)1基、土器埋設遺構1基がみつかりました。

 柱穴状ピットと建物跡
 柱穴状ピットとは、建物の柱を立てるために掘られた穴です。環状列石の周囲でみつかり、列石外帯から約13mの範囲内でみつかることがわかりました。
 これらたくさんの柱穴状ピットをよく観察すると、同じ大きさや深さの規模のものがあることがわかってきました。それらを結ぶと六角形や四角形の柱配置の建物になることがわかりました。その他、ちいさな柱穴状ピットが円形に配置された建物もあることがわかりました。今年度の調査では、4棟の建物跡がみつかりましたが、今後の分析によってこの数は増えると予想されます。
 これらの建物跡は、炉が伴わず生活に使われた遺物等もみつからないことから、住居ではなく、「まつり」の儀式のために使われたものと考えられています。

 配石遺構
 配石遺構とは、色々な形に石を人工的に配列したものをいいます。調査では野中堂環状列石南側の台地縁辺部で1基みつかりました。川原石や礫を径8mの環状に巡らし、南側に直線状に石列があります。また、一部には組石遺構もみられます。
 確認された土の面から万座環状列石周辺でみつかっている「環状配石」と呼ばれているものと同じ時期に作られていることから、「環状配石」と同じような、「まつり」のために作られたものと考えられます。

 配石列
 配石列は、石を列状にならべたものです。環状列石北東側でみつかりました、今年度ば1条しかみつかりませんでしたが、未調査区の北側にもう1条みつかるものと考えています。環状列石という「聖域」への出入り口部と思われます。

 竪穴住居跡
 竪穴住居跡は人が住んだ縄文時代の家です。調査てば2棟みつかりました。2棟は床面に置かれていた土器や土器破片から、それぞれ違う時期につくられたことがわかりました。環状列石南東側のものは、列石と同時期につくられたものです。南東側では1棟しかみつかっていないことから、環状列石周辺には住居群がない可能性が高まりました。
 このことから、「まつり」を行うひとが利用した可能性が考えらられます。
 北東側でみつかっている竪穴住居跡は、環状列石より新しい時期につくられたもので、環状列石を作り終えた後もまつりが行われていたことを伺わせます。

 土坑
 遺跡でみつかる用途不明な穴のことを総称して土坑と呼んでいます。楕円形や円形等その形は様々です。調査では環状列石の周囲からみつかっています。今年度の調査ではこわれていますが、1個体の土器が出土している土坑もみつかっています。

 石囲炉
 石囲炉は屋外につくられた火を焚く炉のことです、通常の遺跡では、細長い川原石を円形に並べるものが多いのですが、環状列石周辺でみつかるものは、円形にならぺたものに三角形状の石で張り出し部を作るものもありります。みつかったうちの1基にはその張り出し部分の近くに、土器が置かれてありました。

 焼土遺構
 焼土遺構とは石囲炉とは別に、地面に残された火を焚いた跡のことです。調査地の南側で見つかりました。おそらくこの場所では、「火まつり」が行われていたものと思われます。

 調査成果のまとめ
 調査成果をまとめるとつぎのとおりです。
1 野中堂環状列石も万座環状列石と同じように、周囲に建物跡や出入り口部分があることがわかりました。
2 野中堂環状列石周辺でみつかる遺物が、万座環状列石でみつかったものと同じ時期に作られたものであることがわかりました。
3 南側出入口部分の先に火まつりが行われた跡や、野中堂環状列石より新しいと思われる配石遺構がみつかりました。このことから環状列石の出入口方向に、野中堂環状列石と関連する遺構が分布することがわかりました。
4 以上のI〜3のことから、万座環状列石と野中堂環状列石は同時期に作られた可能性が高くなりました。
5 みつかった竪穴住居跡が少ないことから、環状列石周辺に環状列石を作った人たちの住居群がないことがわかりました。また、竪穴住居跡のうち1棟が環状列石より新しい時期に作られていることから、環状れつ石を作り終えた後も、この場で「まつり」が行われていたことがわかりました。(抜粋)


 掲載に当たって、鹿角市教育委員会の快諾を得ました。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。(2000年11月4日/2001年8月再掲)


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