青森市宮田館遺跡現地見学会速報

 快晴の9月8日、日曜日の午後1時から、青森県埋蔵文化財調査センター主催の青森市宮田館遺跡の現地見学会が開催されました。予想を大きく上回る150人以上の見学者の方々が県内各地から集まってくれました。現地見学会-特に平安時代の集落遺跡に100人を越える人たちが集まるのは、一部の著名遺跡を除くと、なかなかあることではありません。

 見学会は実際に発掘された各種遺構の説明から始まり、最後は出土遺物の見学と、長時間にわたりましたが、見学者の方々は熱心に説明に聞き入っていました。特に、ヒスイを実際手にとって触れるということで、遺物の前には順番を待つ人の列ができるほどでした。自分の手に残った遺物の感触は、記憶からなかなか消えないものですから、これだけでも見学会に参加した価値があったのではないでしょうか。

 遺跡遠景
遺跡遠景
 参集者

 

 平安時代の住居跡1
参集者

 

平安時代の住居跡1
 平安時代の住居跡2

 

 遺物出土状況
平安時代の住居跡2

 

遺物出土状況
 平安時代の住居跡3

 

 カマド
平安時代の住居跡3

 

カマド
溝

 

 縄文時代の大型住居跡
縄文時代の大型住居跡
縄文時代のヒスイ
平安時代の砥石
縄文時代のヒスイ

 

平安時代の砥石

配付資料要旨(当日の配付資料を基に作成)

調査の概要
・ 縄文時代
縄文時代の遺構では、竪穴住居跡が4軒見つかっています。縄文時代前期末から中期初め(約5,000年前)のものや中期末(約4,000年前)のものです。前期末から中期初めの竪穴住居跡は楕円形の長い径が約10mと大型のもので、床面には段がついています。この住居跡の床面からはヒスイが出土しています。遭物では早期・前期・中期の土器や石器などが出土しています。

・平安時代                               
 平安時代の遺構としては竪穴住居跡が50棟ほど見つかっています。調査区全体に住居跡が検出されたほか、昨年度までの調査で台地斜専部に広く分布していることがわかっています。竪穴住居跡には、掘立柱建物跡が付属するものや(今回の調査では未検出)、周りに溝が巡るものなど(本調査区では未検出)、竪穴以外の施設がつくものもあります。竪穴住居紡が造られたところより低い部分からは、台地斜面を取り囲むように溝跡が見つかりました。幅・深さとも約1.5mで、確認されただけでも長さ約420mにも及ぶものです。遺物では土器(土師器・須恵器)、鉄製品などがあります。

・その他                        
 その他の時代のものとしては、遺構は確認されていませんが、弥生時代や中・近世の遺物が少量出土しています。

平安時代の竪穴住居跡

 宮田館遺跡でこれまでに検出された平安時代の住居跡は約50軒です。平安時代の住居跡は四角形に地面を掘り下げて床とし、壁際にカマドがつくられています。
 住居跡の一辺の長さは3〜6mですが、多くは3〜5mの範囲に収まります。平面形は正方形がほとんどですが、東西に長い長方形のものや一方の壁に張り出しをもつものもあります。住居の構造は壁際に周溝が巡るものや、柱穴が巡るもの、四隅に柱穴をもつもの、住居中央部に主柱穴をもつものなどのバリエーションがみられます。
 ヵマドは住居南壁につくられていますが、西壁につくられるものがわずかにあります。扁平な礫を2・3個並べて、これに粘土を貼り付けて構築しているものが多くみられます。ヵマドの煙道は地山を溝状に掘り込んでつくられる半地下式と、地山をトンネル状に掘り込んでつくる地下式がありますが、本遺蹄ではほとんどが半地下式で、地下式のカマドは1軒だけです。カマドを作り替えている住居も数軒あります。
 住居からは杯・甕・皿などの土師器や大甕・壷などの須恵器、刀子・紡錘車・手鎌などの鉄製品などが出土しています.
 重複する住居があったり、同じ向きにつくられる住居があることから、約50軒の住居が同時に存在したのではなく、いくらかの時間幅があると考えられます。

第14号土坑から出土した鉄製品

 鉄製品が出土した第14号土坑は1辺が50cm程の大きさをしています。この土坑から30点ほどの鉄製品がまとまって出土しました。
 発見した時は砥石が両脇に1点ずつあり、その間からわずかに見えるだけでした。そのため全体の様子は分かりませんでしたが、慎重に掘り下げたところ多くの鉄製品がまとまっていることがわかりました。現場ではこのうち11点を取り上げましたが、その他はサビで製品同士が固まっているため、切り離しが難しく、まとめてそのまま取り上げました。その後、付着している土を取り除いたり、X線で撮影したところ20点ほどの鉄製品が確認され、計約30点に及ぶことが分かりました。形状などから平安時代後半のものと考えられ、これだけ多数の鉄製品が一ケ所からまとまって出土した例は県内初のことです。これまでに確認された鉄製品の種類と点数は手鎌10点、刀子(小刀)?などの棒状鉄製品6点、紡錘車の完形品2点と破片4点、斧2点(大小1点ずつ)、鎌3点、鋤・鍬(すき)先1点、円錘形鉄製品1点、その他不明鉄製品1点などです。
 これらの鉄製品はこの遺跡に住んでいた人々が何らかの理由によりまとめていたことと思われますが、詳しいことについては不明です。


ホーム