こまきのいせきってどこ?

みーつけたー!

 

こまきのいせきは青森市の中心部(ちゅうしんぶ)から南へ約5km、高さ約145mの台地の上にあります。今から約4,000年前のじょうもんじだいの大きなストーンサークルが発見されました。平成7年3月に青森市としては初めて国指定史跡(くにしていしせき)となりました。三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)からは車で南へ約15分の所にあります。



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 こまきのいせきのぐるぐる写真を見たい人はこちらへパノラマ。容量が大きいのでがまんしてね)。ただし、ちょっとじゅんびが必要ですので、お父さん・お母さんに手伝ってもらってください。(大人の方へ:ブラウザにQickTimeVRのプラグインが必要です。)
 



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とくちょう

ストーンサークルは、直径約3mの「中央帯」(ちゅうおうたい)、29mの「内帯」(ないたい)、35mの「外帯」(がいたい)の3つの輪からなっています。下を流れる川から約2,000この石を運びあげて作っています。(中央に円形に見えているのが「内・外帯」です。)

内帯と外帯は、石をたてにおき、その両側に平らな石を3〜6こほどつみかさね、これをくりかえすことによって作られています。「小牧野式」(こまきのしき)とよばれるめずらしい積み方です

 


ストーンサークルを作っている想像図(矢野 功さん)

 

おとうさん・お母さんのための解説資料で〜す。
小牧野遺跡とストーンサークル

1989年、青森市野沢の小牧野〔こまきの〕遺跡で、今から約4000年前の縄文時代に、河原石を使って三重の輪に並べられた不思議なモニュメントが見つかりました。

 このモニュメントは、環状列石〔かんじょうれっせき〕(石で環状に形作った施設)と呼ばれ、ストーンサークルとも呼ばれています。ストーンサークルには、様々な形のものが見つかっており、国の特別史跡に指定されている秋田県鹿角市の大湯環状列石のように、組石(石を組んで並べた施設)の集まりによって作られているもや、小牧野遺跡のように、石をそろばん状に積み重ねる列石(石を列にして並べた施設)によって作られているもの。また、岩手県滝沢村の湯舟沢〔ゆぶねざわ〕遺跡のように弧状の列石と直線的に並ぶ組石よって作られているものなどがあります。

 このようなストーンサークルは、いったいどのような目的で作られたのでしょうか?その性格については、人を埋葬する「墓地説」と祭りを行う「祭祀場説」があり、この2説は長い間論争されてきましたが、まだ決着がついていないのが現状です。

 小牧野遺跡の場合は、ストーンサークルの周りから数多くの墓が見つかっていることや、お祈りやおまじないに使われたと思われる遺物も多いことから、墓地も含めた「葬祭の場」として考えています。

ストーンサークルの構築方法

土木工事

 ストーンサークルが作られる前、この場所は、ゆるやかな斜面でした。縄文人たちは、その斜面をけずって、平らにする大がかりな土木工事をおこなっていました。

スコップやシャベルのような便利な道具のない時代に、これだけの工事をおこなうことは大変な仕事であったと考えられます。

石の運搬

土木工事を終えると、縄文人たちは、その場所から500メートルほど離れた、台地の下を流れる「荒川〔あらかわ〕」から、おおよそ同じ形をした石を何種類か選び、運んできています。

石には、片手で持てるくらいの小さい石から大人が10人位でやっと持ちあげることができるほどの大きな石までありますが、ほとんどが大人1人がやっと持てるくらいの石です。

 このような石が2000個ほど運ばれており、土木工事と同様に大変な仕事だったと思われます。仮に1人が1日に1個の石を運んだとして、20人だったとすると100日かかる計算になります。

ストーンサークルの構築

  ストーンサークルは三重の輪からできていて、真ん中の輪(中央帯)の直径が約3メートル、2番目の輪(内帯)が29メートル、3番目の輪(外帯)が35メートルあります。内帯と外帯は、石をたてに置いて、その両側に平らな石をそろばん状に3〜6個ほど積み重ね、これを繰り返すことによって、形作られています。これは全国でも珍しい方法で「小牧野式」と呼ばれています。

こうした、特殊な形で、また、大きなものを作るには、前もってしっかりとした設計図を作る技術者や、人を働かせるための指導者がいたと思われます。

葬制・墓制

縄文人の平均寿命は、30才前後くらいといわれ、現代の私たちとくらべるとたいへん短かったと考えられています。病気や事故などで人が死ぬと、墓に遺体を入れるとともに土器や石器などの日常使われていた生活用具や、アクセサリーなどを一緒に入れるなどして、死者を埋葬していました。

 小牧野遺跡では、ストーンサークルの周りから、土葬用の墓が数多く見つかっており、また、ストーンサークルの内帯と外帯の間からは、土器で作った棺(甕棺土器〔かめかんどき〕)が埋められた状態で見つかっています。 

甕棺土器は、一度、墓に埋葬した遺体を、屍肉〔しにく〕の朽ちる数年後に取り出し、その遺骨を中に入れ、それが済んだあとに土の中に埋葬するための骨壷であると考えられています。こうした埋葬行為は再葬〔さいそう〕と呼ばれており、大きな権力をもっていた人が祀〔まつ〕られていたと思われます。小牧野遺跡の場合、ストーンサークルの外帯と内帯の間から見つかっていることから、ストーンサークル構築の時の指導者や、その集団の権力者が、再葬されていたと考えられます。

道具

ストーンサークルの周辺からは、当時の生活の様子をかいまみることができる様々な道具が見つかっています。道具には、日常の生活に使われたと考えられる土器や石器、お祈りやおまじないなどに使われたと思われる特殊な遺物(土製品、石製品)が見つかっています。

土器は、今のナベと同じように煮物などを作るときに使われていたようです。この土器を使うとかたい肉や山菜などはやわらかくなり、アクや毒がぬけ、粉や小さな材料も栄養を失わずにおいしく料理できるそうです。

そのほかには、料理を盛りつけるための皿や、食料や水を蓄えるための壷などが見つかっています。

石器は、狩りのときに使われた鏃〔やじり〕や、料理の際に使われたナイフ、墓などを作るときの穴を掘ったり、木を切るときに使われた石斧〔いしおの〕、クルミやドングリなどをたたき割ったり、すりつぶしたりするためのすり石、たたき石、石皿などが見つかっています。

 土製品や石製品には、人を形どった土偶や、円や三角形をしたメンコのような岩版、ミニチュア版の土器などが数多く見つかっています。また、耳飾りやペンダントも見つかっており、それらを身に付けることによってアクセサリーとしてではなく、お守りにもなると考えられていたようです。

今年度の発掘調査から

今年度は、7月1日から発掘調査を実施し、9月27日までを予定しています。

今回の調査の目的は、遺跡の範囲の確定とストーンサークルを作った縄文人たちの住まいを見つけるためのもので、ストーンサークルの西側(高い方)と、北東側(低い方)の一部を調査することになりました。

これまでわかったこと

ストーンサークルの西側では、縄文時代の遺構は少なく、遺物もあまり見つかっていません。ただし、縄文時代以降に大きな台風などによって倒された木の痕跡が6か所見つかっており、この場所が森や林であったのかもしれません。

一方、東側周辺では、ストーンサークルを作った縄文人たちのゴミ捨て場と思われる場所が見つかり、その中からは、土器や石器が多くみられ、それらのほとんどはこわれた状態で発見されました。出土した遺物の量は、およそダンボール20箱ほどです。このゴミ捨て場は、昨年見つかった捨て場に続くものと考えられ、この台地の沢地の部分を利用して、土器や石器などを捨てているようです。

これからの小牧野遺跡

小牧野遺跡は、平成7年3月17日に国史跡の指定を受けましたが、青森市では、今後、この遺跡を当時の植生の再現、環境の復元、また、陸奥湾や八甲田山を望むことができるような景観作りを考え、広く市民に親しまれ、何度も足を運んでくれるような夢とロマンに満ちあふれた「史跡公園」として整備・活用を進めていきたいと思います。



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  小牧野遺跡についてのお問い合わせは下記へ。

青森市教育委員会事務局 文化財課
〒038-0012 青森市柳川二丁目1-1(青森市役所 柳川庁舎5階)
TEL 017-761-4796 FAX 017-761-4792
E-mail bunkazai@city.aomori.aomori.jp
 

 

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