青森市の東部に位置する上野尻(かみのじり)遺跡は、平成11年度から、青森県新総合運動公園建設に先立ち、青森県埋蔵文化財調査センター(中島邦夫所長)による発掘調査が行われていました。今年度も4月19日から調査が行われていましたが、最近、縄文時代後期後半(約3,500年〜3,000年前)の掘立柱建物跡が20基発見され、ほぼ円形に配置されていることがわかり、注目を浴びています。

 

 

 

遺跡周辺の地形-50mの等高線(作成ソフト:カシミール3D Ver.6)
円形掘立柱建物跡の中心部から南西を望んだ遠景(作成ソフト:カシミール3D Ver.6)

 これまで明らかになった掘立柱建物跡は、4本柱の方形のものが16基、6本の亀甲形のものが4基の合計20基です。方形のタイプは1辺が2.5m〜5mのほぼ正四角形、4m規模のものが多いという。また、6本の亀甲形のタイプには、対角線上にある2本の柱穴が内側に傾いているものがあり、上部構造を考える上で重要なヒントになるものもあります。更に、中には最大直径60cm程の柱が腐って黒色土になったものもあり、かなり太い柱を用いたものと考えられます。これらは、現在、南側半分が検出されたところで、今後、残り半分を広げていくという。長径約100m、短径約80mの楕円形に配置されるものと予想されています。

 青森市内からは、津軽の霊峰岩木山(1,625m)がなかなか見えづらいのですが、上野尻遺跡からは、裾野近くまで見えます。青森市内から望める岩木山の姿としては、第1級でしょう。遺跡から岩木山までの距離は、直線距離で約50Kmです。円形の配置される掘立柱建物跡群と何らかの関係があるのでしょうか?ちなみに、掘立柱建物跡群の中心の緯度・経度は、北緯40°50′34″、東経140°51′02″です。カシミール3Dをお持ちの方は、中心部に立ったつもりで景観を色々楽しんでみられてはいかがでしょうか。

北から遺跡を望む

4本柱タイプ

6本柱タイプ

柱の腐った跡-黒くなっている部分

内側に傾いた柱穴

 これらの建物跡の性格について、同センターの成田滋彦資料課長は「住居というよりは、死者を一時的に安置する殯(もがり)などを行った施設ではないか」と分析しているという(東奥日報10月8日朝刊より)。また、東北町教委の古屋敷主幹は「中央部から何が出てくるか今後の調査が楽しみ。上野尻はストーンサークルで知られる青森市小牧野遺跡の次の時代。墓域の変遷を考える上でも重要な遺跡だ」と語っているという(同より)。

 縄文時代中期から後期の環状に並ぶ掘立柱建物跡の例としては、八戸市風張遺跡、北海道石倉貝塚、岩手県西田遺跡、秋田県大湯環状列石、秋田県高屋館などが知られています。タイプ的には、環状列石の周囲に掘立柱建物跡が配置される秋田県大湯環状列石の例よりか、北海道石倉貝塚の掘立柱建物跡だけが環状に配置される例に近似しています。仮に「殯(もがり)説」をとった場合、死者を埋葬した墓坑は、上野尻遺跡ではほとんど発見されていないようなので、論理的整合性が無いように思われます。環状の中心部は、これから精査されるようなので、それらを含めた全容が明らかになったとき、その段階で改めて、これら掘立柱建物跡の用途が明らかにされるでしょう。いずれにしても、今回の発見で上野尻遺跡は、北日本有数の掘立柱建物跡を有する遺跡例に名を連ねることは間違いないようです。(2000/10/14 掲載 2001/11/13再掲)


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