だい1かいめ 田舎館村垂柳遺跡(やよいじだい)

 青森県の西部にある津軽平野(つがるへいや)は、昔からコメの産地として知られてきました。なかでも、田舎館村はきまった面積からたくさんのコメがとれる一大産地(いちだいさんち)です。
 ここでは、明治時代ころから、たくさんの土器
(どき)がみつかっていて、昭和30年代(今からおよそ40年前)に、弥生時代やよいじだいー今から約二千年前)土器とともに炭のように黒く焼けこげたコメがたくさん見つかって、全国的に有名になりました。そのときは、見つかったコメは垂柳遺跡で作られたものではなく、もっと南の暖かいところで作られたものが運ばれてきたものと考える学者がほとんどでした。しかし、ただ一人、伊東信雄(いとうのぶお)さんは、このコメはまちがいなく、青森県のこの地で作られたと主張(しゅちょう)しましたが、だれも相手にしてくれませんでした。

いせきのいち

水の入った弥生時代の水田

小さな当時の水田

水田に残された弥生人の足跡

 それから20年以上時間流れ、昭和50年代中頃(今からおよそ20年まえ)に、道路の工事が計画され、遺跡の中で発掘調査(はっくつちょうさ)が行われました。そうするとどうでしょう、今の水田の50cmくらい下から、今からおよそ2,000年前の水田(656枚)のあとがくっきりと出てきたではありませんか!一枚の大きさは、平均しておよそ8ヘイホーメートルと、現在の水田とくらべて、ひじょうに小型(こがた)です。水を水田に流す水路(すいろ)や作業用(さぎょうよう)の道なども作られていました。水田には、当時の人たちの足跡(あしあと)がたくさんのこされていました。わたしたちのクツの中にぎゅうぎゅうにおしこめられた足とちがって、5本指がぐっとはりだした、たくましさの感じられる足です。体の重心(じゅうしん)が私たちより、ずっと前の方にかかっていたと見られています。

 20年以上も前に、自分のうち立てた主張が発掘調査で証明(しょうめい)された伊東信雄さんが、目の前にずーと広がる弥生時代の水田跡を無言(むごん)でながめていた姿(すがた)が印象的(いんしょうてき)でした。みなさんも、こんな考古学者(こうこがくしゃ)になってみたいと思いませんか?

 

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