発掘秘話シリーズ8:S町の埋蔵文化財行政の過去の姿

                               匿 名 太 郎


 私がS町で文化財保護行政というものに携わり、はじめて難しさを覚えたのは平成3年に起きた町道の道路拡張拡幅工事の時でした。私は学生時代には「埋蔵文化財は守られるべきものだ」と一人で勝手に信じ込んでいました。そしてS町に就職して埋蔵文化財保護行政に携わることができ本当に喜んでいました。

 しかし現実は厳しいものがありました。町道の拡張拡幅工事はスパイクタイヤからスタッドレスタイヤに切り替わるのに伴い、町道の傾斜度が急であるということから、傾斜度を緩くするためと、道路幅を広げるというものでした。私が文化財パトロールに同行して運転手をして歩いていたら、道路の脇に赤い杭が何本か打ち込まれている場所を発見しました。そこは当然周知の遺跡として登録されており、私は工事主体者がどこかということを調べることになりました。そこでまず、町建設課に行って、杭が打たれている場所を示し、工事計画があがっていないかと聞くと、担当者は「それはうちのほうで工事を予定しているところだよ」と答えた。私はそこは遺跡になっているので発掘調査の必要がある、と言うと、「遺跡?」と頭をかしげる。そしてすぐに「工事はすぐにやる予定だけれども。」と言う。私はとりあえず教育委員会に戻り、生涯学習課T課長(すでに故人となっている)にS遺跡に道路工事を予定しているようですが、教育委員会として発掘調査をする必要があると思いますがと説明すると、T課長は「そんな予算はどこにある。」と言って取り合ってくれない。(町が主体者であるために、町が発掘調査費を出さなければならないという事情と、今までに発掘調査というもに直面したことがなかったことから発せられた発言であると思われる。)しかし私もまだ若かったためか、担当課長に文化財保護法という法律で立ち向かっていった。そのようなことが数週間続いた。しまいにはT課長から「今の生活と、昔のことを調べること、どっちが大切か。良く考えてみろ。今の生活がだいじだろう。」と言われる。私はよく言われるように「何千年も守られてきた遺跡が、たった数か月で消滅してしまう。それを最低限、記録保存することは大切だと思います。」と言うと、後は私も課長も感情をむき出しに口論が始まる。そんな毎日でした。隣の水道課の職員からは私に「おまえは、あんなに課長に刃向かえば出世しないよ」と言われたり、同じ教育委員会の社会教育指導員(元校長先生)からは、「生きていくというのはバランスが大事なんだ」と言われつづけていたが、それでも遺跡がなんら保護の措置が行なわないで破壊されることは許されない、と私は思っていた。(病人は具合が悪いと病院に行って治療してもらったり、手術をしてもうことができる。しかし遺跡は言葉を発することはできない、そんな遺跡を守るのは自分しかいないと思い込んでいたこともある。今もその気持ちには変わりはない。)

 県の埋蔵文化財に携わる人たちから陰ながら応援をしてもらった。そして最後には行政であるということから「発掘調査の実施について」の伺い書類を作り、T課長に決済をお願いしますと持っていくと、T課長は「おれは絶対に判を押さない」と言う。そして県文化課の当時M班長に相談したところ、わざわざ町まで来ていただきT課長と話し合いをしていただいた。T課長は持論を唱え、M班長は市町村の役割を切々と説明する。しかし話し合いは並行線であった。あとはT課長は、「おれは知らないことだ。勝手にしろ」というので勝手に発掘調査に必要な書類を作り、町建設課と勝手に調整を進め、勝手に発掘調査を実施した。(今思えば、怖いものしらずであったようにも思うが。)発掘調査の結果、縄紋時代前期初頭の竪穴住居跡3軒と、江別式土器破片数点が出土した。 

 あれから約7年の歳月が過ぎたが、S遺跡に対する姿勢が今の自分を支えているような気がする。


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