私が日の出・日の入りを見ることをわすれてから、何年たつのだろうか?まずしい農家のむすこに生まれた私は、早起きだけは得意だったというより、親といっしょに朝早くに起こされてしまうのでした。それでも、日の出てくる方角にはしょうがいぶつがいっぱいあったので、よく見えませんでした。西側にある津軽の霊峰(れいほう)-岩木山は、我が家の裏の畑からその姿がまるごとみえました。秋の稲の収穫時期には、薄暗くなるまでよく手伝わされたので、岩木山に沈む太陽の真っ赤な色が鮮明な記憶としてあります。この太陽を縄文人は、どんな思いで見たのだろうかと考えるようになったのは、今の職業についてからです。そして、私はこの風景をあと何回見ることができるだろうかと考えると、毎日くり返される日常なのに、それが急にいとおしくなります。
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