平成16年度 青森市新田(1)遺跡現地説明会速報

 平成16年11月3日の文化の日、前日からの雨がようやく止んだ曇り空のなか青森市教育委員会文化財課主催の青森市新田(1)遺跡の現地説明会が約100名の考古学ファンを集め開催されました。
 この遺跡からは、平安時代後期(10世紀後半から11世紀前半)、青森県初の出土と思われる桧扇(ひおうぎ)をはじめとし、馬形、刀形、鏃形など祭祀用木製品、木簡および木簡状木製品など注目すべき遺物が出土しています
 鈴木靖民國學院大学教授は、「新田(1)遺跡の遺物は、東北や関東の地方官衙遺跡のそれに比肩するとしても過言ではない。(中略)これらは、この集落が平安時代も半ば以降の都や関東の社会・文化に通じるような内容をもち、そうした「和人」の”中の文化”を受け入れる一方で、北方の特産物を獲得・出荷して交易・流通活動を繰り広げていた事実を示している。当然のことながら、それを差配する首長級豪族たちが存在して勢力を増し、何らかの統治システムを組織していたと見なければならない。(中略)新田(1)遺跡が語りかける津軽、のち外が浜とされる地域の社会が入間田氏の注視する中世の扉にどうつながるのか、古代から中世への変容がなぜ北方にいち早く認められるのか。」(「平安後期の北奥羽社会−北の辺境からのうねり−」『歴史地理教育』2004年10月号)と論評し、その存在に注目しています。
 以下に、その説明会の様子を速報します。

桧扇
▲桧扇(配付資料より)
▲説明会風景ー1 ▲説明会風景ー2
▲出土遺物ー1(下駄) ▲出土遺物ー2(仏像?)
▲出土遺物ー3 ▲出土遺物ー4
▲遺構配置図

新田(=にった)(1)遺跡

遺跡の概要
 新田(1)遺跡は、青森市西部の国道7号線西バイパスと新青森駅の間、新城川の右岸に位置し、標高5〜8mの沖積地及び丘陵地に立地します。発掘調査は石江地区土地区画整理事業及び新幹線整備事業に伴い平成15年度から開始しました。平成15年度の調査は沖積地の水田部分から西側を中心に、今年度の調査は、前年度の調査部部分より西〜北側の、一段高くなった部分を調査しています。今までに見つかってい遺構・遺物は、古代から中世にかけてのものが主体となっています。

遺構.
 調査の結果、竪穴(たてあな)住居跡や土坑、井戸跡、カマド状遺構、炭焼窯のほかに、約70条の溝跡と約1,800基のピットが見つかっています。
 溝跡は、調査区のほぼ全域で見つかっています。今年度調査した溝跡が、丘陵地から現水路をはさんで、前年度の溝跡と結合することが分かりました。結合する溝跡は2条見つかり、丘陵地を二重に囲うことが確認できました。幅が1m前後のものと3〜4m前後、深さが0.5〜1m前後のものや2mを越えるものが確認され、古代から中世の遺物が出土しています。上部が盛り土され硬化した面に、カマド状遺構や炭窯が作られており、作業場的な要素を持つものが見つかっています。溝跡と他の遺構の重複関係から溝跡による集落内での区割りが考えられます。
 ピットは.丘陵地の西側で高い密度で分布し、柱穴状のものは掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)と考えられます。
 井戸跡は、平面形が円形や方形となり、隅柱が見られるものもあります。2基が隣接し、その付近で柱穴状のピットやカマド状遺構が見つかっています。古代には掘立柱建物跡と、中世にはカマド状遺構が伴うと考えられます。
 丘陵地の遺構の覆土(ふくど)に炭化物を多く含む黒色土が見られます。SN-02の同様な層から、古銭と漆紙(うるしがみ)が出土しており、中世の遺構に共通する特徴の一つと考えられます。

遺物
 遺物は、縄文土器、土師器(はじき)・須恵器(すえき)、石器、、陶磁器、鉄製品、木製品等が出土しています。土器類の主体を占めるものは10世紀後半から11世紀代の土師器です。木製品は、溝跡や井戸跡からの出土が主で、2,000点以上出土しています。桧扇(ひおうぎ)や木簡(もっかん)の他に、馬形・鏃形・刀形等祭祀(さいし)遺物、木器椀や曲げ物等の容器類、鋤(すき)等の農具、下駄や菰槌(こもつち)等の生活用具が出土しています。木製品のほかに、自然遺物の人骨、動物骨、植物種子等や羽口、炉壁、鉄滓(てっさい)、鉄製品などの鉄関連遺物が出土しています。

まとめ
 本遺跡では、集落が溝跡により二重に囲われること・井戸跡と掘立柱建物跡やカマド状遺構が伴うこと・溝跡の重複関係から集落が計画的に区割りされていたことが分かりました。今後、溝跡の変遷を辿ることにより、集落の形成を考えていきたいと思います。

(青森市教育委員会文化財課当日配付資料より)


青森市 新田(1)遺跡出土の木製品

 青森市教育委員会では、平成13年度から青森市西部の石江地区で土地区画整理事業並びに東北新幹線建設事業に係る埋蔵文化財包蔵地の試掘・確認調査を実施し、平成15年度から土地区画整理事業に係る石江遺跡群(新田(1)遺跡・新城平岡(4)遺跡・高間(1)遺跡等)の本発掘調査を行っています。
 調査対象地が青森平野と丘陵部との境界部分であるため、これまで本市では調査事例のほとんどない沖積地についても調査対象としています。
 沖積地の発掘調査は、丘陵地などの水気の少ない土地に比べ、水分が多く含まれることから木器など微生物に分解されやすい製品がそのままの形で残るケースが多く見受けられます。
 調査の結果、新田遺跡では沖積地部分から古代から近代にかけての溝跡29条などが見つかり、このうち古代の溝跡については10世紀後半〜11世紀代の土器とともに2,000点を超える多量の木製品が出土しました。
 出土した木製品には 椀 や 曲物 などの容器、下駄や 菰槌 ・編物などの生活用具、鋤 などの農耕具があります。また他には、律令制度下で祭祀具として使われた斎串(いぐし) 、馬形・刀形などの 形代 (かたしろ)や、 付札木簡 (つけふだもっかん)の形状をした木製品、「忌札見(現カ)知可」と記入された木簡( 物忌札=ものいみふだ )や 桧扇(ひおうぎ) なども出土しており、 化外 (けがい)の地と呼ばれた青森の地で、当時内国であった出羽国や陸奥国などの影響が強い遺跡が見つかることとなりました。ただし、平成15年度の調査は、集落の外周部にあたる沖積地上の溝跡中心の調査であり、隣接する一段高くなった台地上は未調査であったため、それを担った人々がどのような集団でどのような構造の集落で生活していたか不明です。今年度は、隣接する台地の発掘調査が実施される予定であるため、徐々に内容が明らかになっていくものと考えられます。
青森市教育委員会 木 村 淳 一)
「ネットワーク発掘」第18号 平成16年7月 青森県埋蔵文化財調査センター より


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