七戸町二ツ森貝塚の概要

 二ツ森貝塚(ふたつもりかいづか)は、青森県東部の七戸町にあり、今からおよそ5,500年前から4,000年前の縄文時代前期の中頃から中期の終わりにかけて私たちの祖先が生活を営んだ場所です。

  遺跡には東西におよそ600メートル、南北におよそ170メートルの範囲にほぼ馬蹄型に貝塚が広がっています。貝塚からは、ホタテガイ、ハマグリ、マガキ、アサリ、ヤマトシジミなどの貝殻やマダイ、スズキ、ヒラメ、フグ、サケなどの魚骨、シカやイノシシなどの獣骨が出土します。また、たくさんの土器や狩や漁に使った道具も出土します。

地図
遺跡地図
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 遥か一万年前、長い氷河期が終わりをむかえ、地球は次第に温暖になり大陸の厚い氷が解け、海水面が徐々に上昇してきました。日本列島の内陸深くまで海水が押し寄せた縄文海進がピークに達した前期の中頃(およそ5,500年前)に、二ツ森貝塚の人々はこの付近に生活の場を築遺跡写真きました。
 
 縄文海進がピークを過ぎた前期の終わり頃から貝塚がつくられ、小さなムラは次第に台地全体を使ったムラづくりへと大きく発展します。ムラの東はずれには列状の墓がつくられ、墓地を進むと住居が立ち並ぶムラに着きます。住居の周りには食糧を保存する貯蔵穴がつくられ、その外側に貝塚などのゴミを廃棄する場所が定められていました。

 中期中頃のおよそ4,500年前になると居住域は西に広がり、最も大きくなった中期の半ばを過ぎたおよそ4,700年前には東西600メートルを超える大集落になりました。この時期青森県内には、三内丸山遺跡(青森市)や富ノ沢遺跡(六ケ所村)など幾つかの大規模な拠点集落が存在しますが、二ツ森貝塚もまた物流や情報の拠点として周辺の遺跡と深い関係にありました。そのため、ヒスイや琥珀、黒曜石など遠方との交易を示す遺物が出土しています。

 このように二ツ森貝塚は、縄文時代の自然環境や食生活、社会構造をとくための情報を数多く含む貴重な遺跡で、平成10年1月に国史跡に指定されました。

(文・写真提供:天間林教育委員会 甲田美喜雄さん)


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