歴史の庵「奏海」の会活動報告

2015年活動報告

1、はじめに
 人口減少が続き、活気が失われ手若者の減少が続く中で、青森の素晴らしかった歴史を知り、その中から良い所をこれからの街づくりに生かしてほしいとの願いを込めて、青森まちかど歴史の庵「奏海」を2013年(平成25年)8月1日に開庵しました。
 以来、多くの方々から物心両面にわたるご協力を頂き、今日まで運営を行ってきました。例会や展示会は例会で協議し、順調に進められるとともに、東奥日報夕刊に月二回「あおもりなつかし写真帳」のコラムを載せることが出来ました。
 このように会の活動の幅は、会員各位の努力により、確実に広がっています。また、駅前の再開発をめぐって、過去の歴史を参考にしない対応が報道されるため、青森市長に申し入れを行いました。しかし、活動が進むにしたがって、活動に対する問い合わせや要望も多くなっており、それに応える体制作りと財源の確保が課題となっています。

2、例会の開催
 古写真や古地図、切手や絵葉書の蒐集、歴史に興味ある人たちが集まり、奏海の会を発足させ、会則を定め、昨年の総会で、会長に相馬信吉、事務局長に今村修を、理事 室谷洋司、山内敏子、畠山光吉、平井克彦、監事 蝦名敏昭、笹田隆志を選出し、今年一年の活動を行ってきました。

 主な活動の経過は、次の通りです。
(1)例会
 第1回例会 1月10日 県立美術館企画課長池田亨さんの「太宰治をめぐる美術家たち」のお話し 12名参加
 第2回例会 2月 7日 総会               19名参加
 第3回例会 3月 7日 村上亜弥 「文教地区松原町会のお話し」  10名参加
 第4回例会 4月 4日 相馬信吉「戦後青森復興物語」 17名参加
 第5回例会 5月 2日 室谷洋司 「青森雪形物語」  14名参加
 第6回例会 6月 6日 笹田隆志 「森鴎外と青森市」 11名参加 
 第7回例会 7月 4日 今村修 「禁じられた避難と防空法」 14名参加
 第8回例会 8月 1日 畠山光吉 「ムービーで見た戦後の青森県」 9名参加 
 第9回例会 9月12日 鈴木和子さん(埋蔵文化専門家) 「市浦・福島城物語」12名参加   
 第10回例会 10月 3日 相馬信吉「なつかしのマッチ物語」   14名参加
 第11回例会11月7日 成田敏さん(民俗学研究者)「民俗学から見た青森ネブタ」15名参加
 第12回例会12月5日 竹浪比呂央さん(ねぶた師) 「青森ネブタ師を目指して」 14名参加

3、展示会の開催
①写真展「堤川物語」を開催(2014年10月28日~12月29日)
 奏海の会会員が分担して開催したもので、堤川を中心に発展した青森の歴史や、川の変遷、架けられた橋の歴史、名所としての風景などが展示され、母なる川としての役割がわかる内容となっています。残念ながら、度重なる洪水被害のため護岸工事が行われ、コンクリートで固められて、川と人間の触れ合いが無くなりましたが、母なる川として人間と触れ合い、鮭が上り、名所として復活出来る事を願うものです。
 開催期間を、10月28日から2015年3月29日までと、これまでの展示より長くし、じっくり次の展示を検討することにしました。
 特に、マスコミが興味を抱く資料もないため、報道も少なく、来場者は少なかったが、映画「八甲田山」の展示で補われました。

②名優高倉健さん追悼 映画「八甲田山」藤巻健二写真展(2014年12月5日~3月29日)
 堤川物語の展示をはじめてから間もなく、名優高倉健さんの訃報が報じられられましたが、青森県を舞台にして制作された「映画八甲田山」の主役として、県民に慕われた方なのに、どこからも追悼の行事の声がないため、当時、スチール写真担当で参加した写真家藤巻健二さんの手元に残されていた、写真を活用し、「名優高倉健さん追悼 映画八甲田山」藤巻健二写真展を開催することとしました。展示場所が狭く、当初、写真25枚を展示し、12月5日から28日まで開催としましたが、多くの方々が訪れて頂き、堤川物語と同じく2015年3月29日まで延期しました。

③青森市戦後復興物語 2015年4月1日~6月28日
 戦後70年目となり、焼土の中から立ち上がり復興した様子を知って頂くため、戦後復興の写真を集めて展示しました。短期間んで復興した青森市の様子を写真で見て、来場した多くの人達は当時の人たちの熱意にビックリしていました。 
 戦後70年という事もあり、マスコミの報道も多く、来場者も多く復興期の青森を知って頂きました。機会を見つけて再度展示会を開催したいものです。写真提供にご協力を頂きました、藤巻健二さん、平井克彦さん、平井潤治さん、青森市に感謝申し上げます。

④「禁じられた避難と防空法」2015年7月1日~9月27日
 戦後70年を経過して、青森空襲や全国の空襲で多くの市民が避難せず、犠牲になった原因の一つに、同時の防空法の存在が明らかとなった。防空法では、市民は都市から避難せず、都市を守る義務があり、空襲があったら消火作業に当たるこが定められ、消火困難な場合は防空壕に退避することが認められていた。
 そのため、防空演習が頻繁に行われていました。青森でも当時の東久邇宮防空司令官を迎えての防空訓練などの写真が残されており、これらを活用しての展示会を行いました。マスコミ各社の取り上げ方も大きかったので、多くの市民が来庵しました。

⑤「なつかしのマッチ物語」2015年10月1日~12月27日
 会員の平井克彦さんが、市内商店等のマッチを大量に保管していることを知り、百円ライターの出現で消えていったマッチ展を、会員の協力で行うこととなりました。各商店等が独自のデザインで工夫したマッチを芸術品でもあり、電話の局番で年代を知ることが出来、それぞれの商店等、青森市商店街の発展の歴史を知ることも出来る貴重な資料でもありました。
 また、一個のマッチが寺山修司に繫がるなど、それぞれ多くの物語を語ってくれました。
さらには、開催中、多くの市民から多くのマッチの提供を受け、今後の活用に宿題を与えられた展示会でした。

4、青森市への申し入れ
 連日のように青森駅前再開発が市議会でも議論され、報道され続け、前市長時代からの駅前再開発計画を実行すべきとの主張が行われました。
 とくに、現駅を跨いで東西をつなぐ橋建設には百億を超える費用が掛かり、新町を中心市街地と位置づけ、この計画をそのまま進めるのには疑問があり、市長に申し入れを行いました。

5、まとめ
 庵を立ち上げ一年4ヶ月、会をつくり一年、無我夢中で走り続けてきました。
 この間、多くの人々と交流を深め、ご協力を頂き、学びさせて頂き本当にありがとうございました。
 故きを温ねて新しきを知るが、最近の口癖となりましたが、青森をつくりあげた先人の功績を一つ一つ掘り起し、これからの街づくりに活用して頂くため 努力を続けたいと思います。
 急がず、慌てず、じっくり、どっしりと構えて、歩を進めたいと思いますが・・・ ・・・・残された時間が少なくなっています。努力します。

2016年活動方針
1、今年度の活動計画
 (1)例会の開催
    毎月第一土曜日午前10時

 (2)展示企画
    3か月に一度展示内容を変える

 (3)役員会開催
    毎月の例会を役員会とし、展示計画など会の具体的活動内容について協議決定する。

 (4)会員拡大と財政確立について
   ① 会員を110名にする。
   ② 賛助会員の拡大と財政確立
   ③ 庵の光熱水費等の支援を目指す



2014年活動報告

1、はじめに
  人口減少が続き、活気が失われ手若者の減少が続く中で、青森の素晴らしかった歴史を知り、その中から良い所をこれからの街づくりに生かしてほしいとの願いを込めて、青森まちかど歴史の庵「奏海」を2013年(平成25年)8月1日に開庵しました。
  開庵に当たり、資料は、青森空襲資料蒐集の過程で集まった品々、展示用ガラスケースは、市民に呼びかけ無料提供、最初の展示は、明治43年の大火で焼失した青森市の貴重な建物(明治25年発行青森実地明細絵図の銅版画)を複写し展示しました。
  また、図書コーナーは、故若林豊さんと故折登眞也さん提供の蔵書で、若林さんの奥さんからは、多額のご賛助も頂きました。
  さらに、喫茶コーナーをつくる等の改装を行うとともに、多くの方々のお手伝いを頂き出発することが出来ました。

2、「奏海」の会の発足 例会の開始
  古写真や古地図、切手や絵葉書の蒐集、歴史に興味ある人たちが集まり、会を発足させることとなり、2014年2月1日に最初の集まりがもたれ、奏海の会を発足させました。
  そして、下記の通り例会を開催しました。
 第一回例会 2月 1日 平井さんから青森市パノラマ地図などの紹介
 第二回例会 3月 1日 相馬が、常田さん宅の古写真。室谷が、青森高校校舎の流転について。
 第三回例会 4月12日 佐藤 青森県での百貨店の誕生と発展。
 第四回例会 5月10日 今村 青森市営バス物語の話
 第五回例会 6月7日  白川 三内霊園物語のお話

 第六回例会 7月5日  千葉 青森の郵便物語

 第七回例会 8月2日  山内 山内家の見学
 第八回例会 9月6日  相馬 諏訪神社石灯篭、堤川物語展示企画
 第九回例会 10月4日 今村 授業を禁じられた女学生展について
 第十回例会 11月8日 相馬 昭和30年代の青森市
 第十一回例会12月6日 久慈(青森大学:ゲスト) 青森中学時代の太宰治
 忘年会   12月5日      忘年会。空襲を記録する会と合同 
 第十二回例会 1月10日 池田(県立美術館:ゲスト) 太宰治と画家たち
H26年12月6日かなみ例会.jpg

3、最初の展示は「明治大火で焼失した建物」
  多くの市民に、古き良き時代の建物を知って頂きたいとの願いから、最初の展示は、青森実地明細絵図に記載された建物を複写し展示することにしました。
  現物が県立図書館に保管されており、市の市史編纂室のご協力を頂きながら複写し、一つ一つの建物をA4版の写真に仕上げ、ラミネートしての展示を行いました。県庁や商家など弘前に劣らないような建物が青森にもあったことを訴えたかった。
  この展示の最中、青森空襲で焼け残った本町(大町)の土蔵に、「青森実地明細絵図」や大正時代の「青森パノラマ地図」等が残されていたことが明らかとなり、所有者の平井卓さんから借用し、展示することとなりました。
  平井さん宅には、多くの市街図が残されており、今後の活用が課題です。
奏海初回展示.JPG

4、明治大火から復興した青森・青森市パノラマ地図展
  平井さんから借用して、青森市パノラマ地図と載っている建物を複写し2013年12月3日から「青森市パノラマ地図展」を開催しました。
  このパノラマ地図は、鳥瞰図の先駆けである清水吉懬氏が描いたもので、青森県内では最初の展示でした。地図の裏側には、銅版画で明治大火から復興した建物が描かれており、短時間で復興した青森の姿を見ることのできる貴重なものでした。
  これまでの展示で、訪れた市民の中から古写真や歴史展示に興味を持っている人たちが集まるとともに、奏海の活動を支援しようという話が出るようになりました。

5、青森市営バス物語の写真展
  青森の町は、全国から多くの人が集まっています、そのため、全国に先駆けた事業や建築が行われています。その一つが、市民の寄付によって全国2番目に発足した公営での青森市営バスであり、市民に知ってほしいと願い、2014年5月7日から7月6日まで写真展「青森市営バス物語」を開催しました。
 写真や展示品の借用を市民に呼びかけ、展示を行いましたが多くの方々にご協力を頂きました。市交通部からは発足当時からの写真、元車掌さんからのカバンやハサミ、切符など、市民から発足時の写真パネル、さらに、バスの車種説明など次々と資料の提供を受けました。
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6、米兵が写した戦後の青森
  戦後、青森に進駐した米軍兵士が、個人で撮影した個人アルバムが手に入り、その写真150枚を展示する写真展を、8月5日から31日まで開催しました。
  撮影したのは昭和21年に青森市に進駐した米陸軍第511空挺連隊の兵士ですが、氏名は不明です。青森県内を撮影した写真をアルバムにしたもので、何らかの事情で売りに出され、日本の収集家が入手し、その後私たちが手に入れたもので、東奥日報が報道したこともあり、多くの方々が来庵しました。
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7、授業を禁じられた女学生展
  戦時中の昭和16年から20年までの、青森県立高等女学校時代の写真アルバムが寄付され、これらの写真をA4版に拡大して9月9日から10月26日まで展示しました。
戦時中、学校は陸軍の縫製工場となり、高学年はミシンを踏み、低学年は農作業に駆り出され、防火訓練や監視、救急業務につき、授業を禁じられた女学生の姿が写されており、戦争の愚かさと恐ろしさが語られていました。
  多くの方々から、写真の場所などの情報が寄せられ、同年代の方々の来庵が多くありました。
青高女展1.jpg

8、写真展「堤川物語」を開催
  奏海の会会員が分担して開催したもので、堤川を中心に発展した青森の歴史や、川の変遷、架けられた橋の歴史、名所としての風景などが展示され、母なる川としての役割がわかる内容となっています。残念ながら、度重なる洪水被害のため護岸工事が行われ、コンクリートで固められて、川と人間の触れ合いが無くなりましたが、母なる川として人間と触れ合い、鮭が上り、名所として復活出来る事を願うものです。
  開催期間を、10月28日から2015年3月29日までと、これまでの展示より長くし、じっくり次の展示を検討することにしました。
  特に、マスコミが興味を抱く資料もないため、報道も少なく、来場者は少ない状況です。
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9、名優高倉健さん追悼 映画「八甲田山」藤巻健二写真展
  堤川物語の展示をはじめてから間もなく、名優高倉健さんの訃報が報じられられましたが、青森県を舞台にして制作された「映画八甲田山」の主役として、県民に慕われた方なのに、どこからも追悼の行事の声がないため、当時、スチール写真担当で参加した写真家藤巻健二さんの手元に残されていた、写真を活用し、「名優高倉健さん追悼 映画八甲田山」藤巻健二写真展を開催することとしました。各地で行われた追悼行事の中で、映画の生写真を展示できたのは、当庵だけであった。場所が無いため、当初、写真25枚を展示し、12月5日から28日まで開催としましたが、多くの方々が訪れて頂き、堤川物語と同じく2015年3月29日まで延期しました。
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10、まとめ
  庵を立ち上げ一年4ヶ月、会をつくり一年、無我夢中で走り続けてきました。
  この間、多くの人々と交流を深め、ご協力を頂き、学びさせて頂き本当にありがとうございました。83名の会員の会費と50名を越える方々からの賛助金で7回の企画展を開催出来ました。プリンターインクや光沢紙などの消耗品費は、90000円ほど帳簿上計上されていますが、帳簿に表れない会員各自の持ち出しもかなりあったようです。施設の運営費及び企画展開催費用の捻出が急務となっています。
  故きを温ねて新しきを知るが、最近の口癖となりましたが、青森をつくりあげた先人の功績を一つ一つ掘り起し、これからの街づくりに活用して頂くため努力を続けたいと思います。
  急がず、慌てず、じっくり、どっしりと構えて、歩を進めたいと思いますが・・・残された時間が少なくなっています。努力します。

2015年活動方針

1、今年度の活動計画
 (1)例会の開催
    毎月第一土曜日午前10時

 (2)展示企画
    3か月に一度展示内容を変える

 (3)役員会開催
    毎月の例会を役員会とし、展示計画など会の具体的活動内容について協議決定する。

 (4)会員拡大と財政確立について
   ① 会員を110名にする。
   ② 賛助会員の拡大と財政確立
   ③ 庵の光熱水費等の支援を目指す
(事務局長:今村修)

 なお、会にご加入頂ける場合は、郵便振替用紙(名称:青森まちかど歴史の庵「奏海」の会 口座記号番号:02220-2-137063)で会費=1000円をお振込みください。また、ご賛助のみでも結構です。庵の維持と会の活動は、皆様方からの賛助金で支えられています。