「断章 青森の製塩跡考」PDFファイルの公開


 先般、刊行案内をしました上記論考のPDFファイルを筆者である北林八洲晴さんのご快諾を得ましたので、ここに公開できることとなりました。大いに活用していただければ幸いです。
 


目  次

1 はじめに(ao-seien-1.pdf ファイル容量523K)
2 塩釜調査に至る経過(ao-seien-2.pdf ファイル容量756K)
3 塩釜の考古資料
 (1)青森市大浦遺跡(ao-seien-3-1.pdf ファイル容量636K)
 (2)平内町大沢遺跡(ao-seien-3-2.pdf ファイル容量408K)
4 塩釜の文献史料(ao-seien-4.pdf ファイル容量4.8M)
 (1)塩釜は土釜とみられる史料
 (2)塩釜直煮製塩(素水製塩)の史料
 (3)塩釜に貝殻を使用した土釜、塩釜小屋、汐汲みの施設等の史料
 (4)津軽藩西浜の鉄釜使用の史料
 (5)西浜における塩釜製塩の始まり
 (6)津軽藩の製塩と塩釜数
 (7)南部藩・下北半島の製塩と塩釜数
 (8)南部盛岡藩・三陸沿岸の製塩と塩釜数
 (9)南部八戸藩の製塩と塩釜数
 (10)近世陸前仙台藩と羽後秋田藩の塩生産
 (11)南部盛岡藩の貝釜と鉄釜の史料
5 三陸沿岸の土釜と鉄釜(ao-seien-5.pdf ファイル容量1M)
 (1)土釜(焼貝殻粉粘土釜)
 (2)鉄 釜
6 幕末から明治初期の製塩史料(ao-seien-6.pdf ファイル容量508K)
7 塩専売法と直煮製塩の消滅(ao-seien-7.pdf ファイル容量376K)
8 まとめにかえて(ao-seien-8.pdf ファイル容量480K)
 写 真 図 版(ao-seien-9.pdf ファイル容量1.7M)

●一括ファイル(ao-seien-allファイル容量12.1M)


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1 はじめに
 日本列島の塩作りの歴史は、一般的には海水による製塩から始まり、その技法上からみると、天日製塩、直煮製塩(素水製塩ともいう)、藻塩焼製塩、揚浜式塩田製塩、入浜式塩田製塩、流下式塩田(枝条架併設)製塩、イオン交換法と、だいたい7段階を経て発展してきたといわれている(注1)。
 青森県における塩作りに関する考古学的研究は、昭和40(1965)年代から始まり(注2)、今日、青森県内では縄文時代後期末葉から晩期及び10世紀を中心とする平安時代の製塩は、土器を使用した時代、土器製塩の時代と位置付けられている(注3)。
 土器製塩は直煮製塩(素水製塩)に分類され、濃い塩水を作る採鹹作業は特に必要としない。 汲み上げた海水を直接製塩土器に入れて薪(塩木)を焚き、海水を煮詰めて結晶塩を作る方法である。本県の土器製塩は、遅くとも平安末ころには終焉を迎えたものとみられ、その後は土釜(窯)を使用した塩作りが開始されたものと看做されている(注4)。塩業発達史的にみても中・近世の製塩は大きな画期であり、また、中・近世の製塩用釜(窯)は、鉄釜に移行するまで焼貝殻と粘土などを原料にして造られた原始的な土釜であったことは文献史料にも残されている。そして海水から塩を作る仕事は明治時代末葉まで続けられていた資料がある。そこで製塩に使用された塩釜などに焦点を当て、それらを埋蔵文化財の調査研究の対象に据えることも一興であろう。

(注1)亀井千歩子1979「塩の民俗学」68、69頁
(注2)拙稿1969「青森県夏泊半島の製塩土器」月刊考古学ジャーナル38
(注3)近藤義郎編1978・1984・1994 「日本塩業大系 史料編 考古」「土器製塩の研究」「日本土器製塩研究」

(注4)拙稿1972【研究ノート】「青森県陸奥湾沿岸の製塩土器(予報)付記 青森市大浦遺跡調査略報」考古学研究18巻4号、79〜89、102頁


 今回発刊された「断章 青森の製塩跡考」は、北林八洲晴氏による自費出版です。A 4判90ページあまりで、内容は上記のとおりです。残部が少しあり、1部2000円でおわけしていますので、お入り用の方は下記宛に送料1部330円を加えてお申し込みください。

申込先:郵便番号030−0964 青森市南佃2−15−1 北林八洲晴あて
     郵便振込:02290−8−77811番 北林八洲晴 
 



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