先日、パソコンのデータを整理していたら、前からさがしていた「赤ちゃんどぐう」のデジタル写真がぐうぜん見つかりました。出土したのは、1998年ですから、1年半以上も前になり、マスコミをにぎわしたのは、1999年2月です。みなさんにしょうかいしたくても写真が入手できず、あきらめていたのですが、1998年12月に行われた「遺跡報告会(いせきほうこくかい)」の時にデジタルカメラでなにげなくなく写していたようです。初期のデジタルカメラで写したものですから、かなりボケていますが、がまんしてください。
 この赤ちゃんどぐうがしゅつどした沖中遺跡
(おきなかいせき)は岩手県と県境を接する三戸町の中央部にあります。病院建設に先立つ発掘調査が行われ、今回の「赤ちゃんどぐう」(左写真-ほぼ実物大)は、多数の土器や石器と共に見つかったものです。今から約3000年前のじょうもん時代の終わり頃に作られたものと考えられています。たて7cm、横4cmで、手のひらにすっぽりとのるほどの大きさです。全体に簡素(かんそ)に作られていて、寒さをふせぐ「おくるみ」からまん丸い顔をちょこんとのぞかせているように表現されています。どぐうの顔の表現は、赤ちゃんのそぼくな表情をうまくとらえていて、顔の真ん中に大きな口がポッカリ開き、その上には愛らしい目。おっぱいをねだっているようにも、母親を見て笑っているようにも見えます。
調査を担当した三戸町
(さんのへまち)社会教育課の野田尚志さんは「一目見た瞬間(しゅんかん)に赤ちゃんだ、と思った。顔の下でたてにふくらんだすじは、おくるみのかさねを表現している」、と見ています。また、江坂輝弥(えさかてるや)慶応大学名誉教授は「全国でも赤ちゃんだけのどぐうが見つかった例はない。当時の育児の風習を知る上でも貴重だ」と話しています。お腹の大きな土偶はたくさんありますが、母親と子供をいっしょに表現した土偶(右写真)は、全国でも2例しかありません。ましてや、赤ちゃんだけの例は初めてです。
 一方、 青森短期大学の葛西励
(かさいつとむ)助教授は「わが子の成長をいのるか、もしくはなくくした子をいたんで作ったのではないか」と見ています。じょうもん時代、赤ちゃんが死ぬ割合は非常に高かったといわれ、最初の誕生日をむかえることができた赤ちゃんは、少なかったのではないでしょうか?                                 (2000/04/20)


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