こまきのいせきけんがくかい

 晴天の9月5日、日曜日。こまきのいせきでは、およそ40名の見学者があつまり、こうれいの現地説明会が開かれました。今年は、これまで手をかけていなかったわき水ちてんを中心に調査が行われています。そのようすを以下に、おしらせします。

説明にききいる見学者

イラストを使って説明する児玉さん

わき水ちてん

わき水そばの盛り土

すいろじょうのどぼくこうじ

わき水地点からでたどき

保護者の方々へ

以下は、現地説明会の配付資料そのままですので、お子さまにやさしく説明してあげて下さい。

はじめに

 小牧野遺跡は、青森市野沢字小牧野に所在し、今から約4,000年前の縄文時代後期前半の環状列石をシンボルとする遺跡です。

 環状列石は、石に願いを込め、多くの石で大きな輪のように並べられたもので、ストーンサークルとも呼ばれています。これまでの調査で、環状列石やその周辺から墓が見つかっていることや、祈願や呪術に使用されたと思われる遺物も多く出土していることから、環状列石は、墓の機能も含めた「葬祭の場」あるいは「神聖な場」と考えられます。

今年度は、7月5日から発掘調査を実施し、9月20日までを予定しております。今回の調査は、小牧野遺跡の範囲の確定と環状列石の解明を目的に、環状列石の周辺や湧水地点を対象として実施してきています。

調査概要

 今年度の発掘調査は、昨年度までに範囲を推定したラインの周辺に設置した6ヶ所のトレンチ(A〜Fトレンチ)および湧水地点周辺に設置したグリッドの一部について実施しています。検出した遺構は、土坑3基、集石遺構1基、湧水および関連する施設等で、いずれも環状列石構築期である縄文時代後期前葉に所属するものと考えられます。

(1)土坑

 土坑は、Eトレンチから3基を確認しています。土坑は、いずれも、幅約1m、深さ約20〜30cmを計り、平面形は円形を呈しています。土坑の性格については、食料貯蔵用の施設とも考えられますが詳細は不明です。土坑の中からは、十腰内T式土器の破片が出土しています。

(2)集石遺構

 集石遺構は、Eトレンチから1基を確認しています。本遺構は、環状列石と同質の安山岩を用いて構成されています。現時点では、下部調査を実施していないため詳細は不明ですが、周辺から十腰内T式土器が出土していることや、これまでの調査においても大型の安山岩に伴って十腰内T式土器が出土している場合が極めて多いことから、環状列石構築期のものである可能性が考えられます。

(3)湧水および関連する施設等

 今回調査を実施した湧水地点は、環状列石東側の標高約110mの急斜面に立地しています。

 この湧水のある場所は、「竜神様が出る」とか「水を飲みに来て大蛇に食われた」などという伝説が残っており、昨年、斜面をくまなく歩き確認しました。

 湧水自体は、環状列石構築期(縄文時代後期前葉)に掘削された遺構で、規模は幅約6m、深さは1.5m以上(推定)になります。このような遺構は、一般に「水場の遺構」または、「水場遺構」との呼称が用いられ、性格に応じて、「水さらし場状遺構」「湧水利用遺構」との呼称が用いられる場合があります。

 湧水の東側には、隣接して幅6〜8m、高さ約4mにもなる盛土も確認されています。この盛土は、湧水内の土と同質のものが含まれていることから、主に湧水掘削の際に排出された土によって形成されたものと考えられます。また、この盛土の最下部から最上部まで断続的に十腰内T式土器が出土していることから、環状列石構築期である縄文後期前葉に形成された盛土として理解できます。

 湧水の南側には、水路状の遺構も確認されており、逆台形状でいわゆる箱矢研堀状を呈するものと考えられます。その法面には、まんべんなく砂が貼り付けられています。

 遺物は、水路状の遺構やその付近から、完形あるいは復元可能な壷形土器3点、たたき石やすり石などの礫石器が多数出土しています。ただし、剥片あるいは剥片石器の類のものはほとんど出土していません。盛土の中からは、深鉢形や鉢形土器等の破片や礫石器が出土していますが、やはり剥片および剥片石器は少ないようです。今回の調査では、環状列石付近と湧水地点の出土石器の相違が認められました。環状列石付近においては、石器のほとんどが剥片および剥片石器であるのに対して、湧水地点ではそれらの石器がほとんどなく、礫石器が非常に多くなっています。このことは、今回の湧水の性格を明らかにする一つの鍵となりうるものと考えられます。

 小牧野遺跡において、本遺構検出の意義は、第一に環状列石を構築および使用していた人間が、この湧水を利用していたことにあります。このことは、環状列石の維持管理を考えるうえでも重要で、盛土の中に含まれる土器の時期を分析すれば、環状列石が使用された期間を把握することができます。

 第二に、縄文人が相当な組織力を見せつけるほどの、土木工事を行っていたことにあります。この盛土が、どの程度の作業時間および人数が必要となるかは、今すぐには試算できませんが、少なくとも2・3人が数日で造りうるものではありません。言いかえれば、環状列石の構築と同様に本施設の構築は、大がかりでかつ組織的、計画的な作業が想定されるものと考えられます。

小牧野遺跡の性格

 小牧野遺跡の発掘調査は、平成2年度から実施してきており、今年で10年目になりますが、環状列石を形成してきたと考える集落の存在は確認されていません。今後、未調査部分の調査を進めても列石を構築するだけの規模の集落跡は、存在しないものと思われます。環状列石の周辺からは、土坑墓群(墓域)、食料貯蔵用の土坑群(貯蔵施設)、遺物の捨て場が検出されています。列石周辺の貯蔵施設は、列石を作っている期間やそこを使用、管理する期間に必要とした食料貯蔵施設であり、捨て場はその時に廃棄された場であったことが推測できます。また、昨年度の調査では、列石の石を運んだ可能性が考えられる道路状遺構も検出され、今年度は環状列石を構築および使用した人間が利用した湧水も検出されました。

 これらのことから、小牧野遺跡の性格を考えると、単なる「葬祭の場」としてだけではなく、複合的な機能あるいは施設を備えた葬祭の場として理解できると思います。その中で、環状列石は、この一大「葬祭の場」に関わる共同体のモニュメントととして構築されたものと思われます。

史跡公園の実現に向けて 〜小牧野遺跡整備基本構想〜

青森市では、この小牧野遺跡を史跡公園化に向け、整備の基本的な考え方をまとめた「小牧野遺跡整備基本構想」を平成11年7月に策定しました。構想では、「青い森 八甲田山嶺によみがえる縄文空間」を整備の基本テーマに、 1縄文時代の環境や景観の創出と遺跡の適切な復元・保存、2小牧野遺跡の解明を目的とした調査・研究、3史跡を総合的に理解できるような展示・公開、4史跡一帯の整備を行うための効果的な土地利用・公有化の4つの項目を整備の基本的方向として掲げました。具体的には、縄文人の生活や世界観、当時の植生環境などをイメージしながら遺跡を適切に復元・保存し、縄文時代の雰囲気に浸れるような景観づくりを考えています。また、史跡の活用効果を高めるため、資料展示や情報発信をするための施設を配置し、さらに、これらの実現に必要と見込まれる史跡範囲の追加指定や土地公有化なども目標としております。


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