平成17年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告会速報

 平成17年12月10日、11日の両日、青森市荒川にある青森県総合社会教育センターを会場にして開催された、平成17年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告会の様子をお伝えします。その中から注目される遺跡をピックアップして紹介します。

▲展示風景1 ▲展示風景2


沢ノ黒遺跡
所在地:下北郡風間浦村大字蛇浦字沢ノ黒
調査機関:青森県埋蔵文化財調査センター
調査期間:平成17年4月19日〜9月30日
調査原因:ふるさと農道緊急整備事業

遺跡の概要
 遺跡は沢ノ黒山の尾根筋となる標高28〜35m程の台地上に立地しています。現在の海岸線から350m程の地にあり、北西の沢には津軽海峡に注ぐ小河川が絶え間なく流れています。今から約4,OOO〜6,OOO年前頃、縄文時代前期・中期・後期初頭と呼称される時代に集落が営まれ、人々が生活してしていました。また、1万年以上さかのぼる縄文時代草創期の可能性が考えられる石器も出土しており、今後の検討が楽しみな遺跡といえるでしょう。

遺構の種類
 確認した遺構は、住居跡5軒・土坑50基・焼土11基・埋設土器8基・配石9基・捨て場2ヶ所です。

遺物の種類
 遺跡からは、縄文時代前期〜中期にみられる円筒下層d式・円筒上層a式と呼称されるバケツ状の土器が大量に出士しました。土器以外にも大量の遺物が出土しており、総数は段ボール箱523箱に達しています。それらには、剥片石器(尖頭器・石鉄・石匙・スクレイパー類・両面加工石器など)・石核・礫石器(石錘・打製石斧・磨製石斧・凹石・石皿・擦切具・砥石など)・土製品(土偶・装飾品)・石製晶(垂飾晶・耳飾り・石棒など)などがみられます。石器は尖頭器が多く、大型のものもあります。また黒曜石製の石鏃と剥片が数点ですが出土しています。黒曜石は産地が限られており、遠隔地との交流を物語る遺物といえるでしょう。

遺跡の特徴及び注目される遺物
 遺物の多くは前期〜中期の円筒下層d式・円筒上層a式期に相当し、北西部台地縁辺付近と南東部台地縁辺付近に廃棄された状態で出土したものです。北西部の捨て場はマウンド状になっており、遺物ばかりではなく遺構を構築した際の排土を廃棄した結果と考えられます。この捨て揚からは土偶や装飾品も出土し、また土坑墓も確認されました。このように日常遺物・非日常遺物・土坑墓が同一的に存在することは、廃棄と祭祀、葬送儀礼に相関性があることを示唆するといえるのではないでしょうか。また注目すべき遺物として、2点の両面加工石器(石器を作るための材)が重なった状態で出土しました。これらはこの場所に置かれ、残されたものです。なぜ忘れられたのか、思いが巡ります。この他に打製石斧も出土しています。
 これらは草創期の可能性もあり、さらなる検討を要する遺物です。発掘調査によりさまざまな成果が得られ、検討課題が導き出されました。海峡を挟み恵山を望む地、北海道との結び付きを感じずにはいられません。眼前に広がる海原と背後に迫る山々が、豊かな食料をはぐくみ、この地に人々を根付かせたことはいうまでもないことでしょう。
(野村信生)

▲出土遺物1 ▲出土遺物2



東道ノ上(3)遺跡
所在地:上北郡東北町大字大浦字東道ノ上地内
調査機関:青森県埋蔵文化財調査センター
調査期間:平成16年7月27日〜11月26日
調査原因:高清水用水路建設事業

遺跡の概要
 遺跡は小川原湖の南西に注ぐ砂土路川の右岸段丘上に立地しています。発掘調査によって台地上に縄文時代と平安時代の集落がみつかり、丘陵の斜面地形部分と沢状の窪地に遺物を廃棄した場所と考えられる「捨て場」が検出されました。

遺構の概要
 竪穴住居跡30軒、土坑87基、埋設士器5基、焼土遺構5基、遺物集中域(「捨て場」)2箇所が確認されています。これらは縄文時代前期中頃(円筒下層a式)から中期初頭(円筒上層a式)の時期が中心となりますが、平安時代のものも含まれています。また、遺跡の北側斜面に形成されていた「捨て揚」には食料残滓と考えられる貝殻や動物の骨が土器や石器とともに層をなして堆積しています。

遺物の説明
 縄文時代前期〜中期にかけての土器が多量に出士しています。また、同時代の多様な石器(石槍、石鏃、石匙、磨製石斧、石錐、磨石、石皿、砥石等)、石製晶(玉類、けつ状耳飾り、岩偶、石剣)、土製品(ミニチュア土器、円盤状土製品)などもみられます。北側の遺物廃棄ブロックからは骨やシカの角を加工した道具(骨角器)、貝殻を加工して作った装飾品が多量にみつかりました。貝殻や動物の骨、炭化したクルミの殻やクリなどから当時の人々が食糧として利用したであろう動物や植物の内容をうかがい知ることができます。これらの遺物は通常の場合、腐朽して残ることのないものですが、貝殻に含まれているカルシウムの影響で奇跡的に残っていたものです。

遺跡の特徴及び注目される遺物
 遺跡は現在の小川原湖から4kmほど南西に位置しています。小川原湖周辺の地域では縄文時代早期から中期にかけての貝塚が数多く分布していることが知られています。今から約6,OOO年前は世界的に温暖な時期であり、海水準が現在よりも3〜5mほど高く、小川原湖は内湾であったと考えられています。東道ノ上(3)遺跡から出土した多量の動物遺存体を詳細に調べることで当時の遺跡周辺の環境、狩猟や漁労、採集といった人々の生活の様子が明らかになると考えられます。
(斉藤慶吏)

▲出土遺物1 ▲出土遺物2



平畑(1)遺跡
所在地:三沢市字平畑
調査期間:平成17年4月19日〜7月15日
調査機関:三沢市教育委員会
調査原因:(仮称)三沢市民フアミリースポーツ広場建設事業

遺跡の概要
 平畑(1)遺跡は、東北本線三沢駅北西約3.4Km、姉沼側に面した標高約30mの台地上に位置します。遺跡の時期は、縄文時代前期初頭・奈良時代・平安時代で、特に平安時代(10世紀前半期)の集落跡であることが分かりました。

遺構の種類
 確認した主な遺構は、縄文時代の住居跡1軒・溝状遺構1基・奈良時代の住居跡1軒、平安時代の住居跡11軒(2軒未調査)、竪穴状遺構1基・土坑1基等でした。

遺物の種類
 遺物は平安時代(10世紀前半期)のものを中心に、テンバコ30箱分出土しました。土師器が多く、他に須恵器や鉄製品(鎌、斧、紡錘車、鈴、バックル)・ミニチュア土器(つば釜風)、木製品(皿、櫛)、土製品(土錘)、緑釉陶器などが出士しています・土師器坏の中には墨書・刻書土器も見られます。

遺跡の特徴及び注目される遺物等
 平安時代の集落は、住居跡堆積土内の十和田a火山灰(西暦915年頃降下)や白頭山火山灰(西暦950年以前)から10世紀前半〜半ば頃まで集落が存続したと考えられます。住居跡のカマド方向は東1軒、南1軒、北7軒で東の1軒には南と北にもカマドを作っていました。カマドの位置や火山灰の堆積状況に若干の違いが見られ、多少の時間差をもって住居の構築や廃棄があったものと思われます。
 遺物の中で特に注目されるのは、「緑釉陶器」です。小破片も含め22点出土しました。1辺約9mの住居跡から大半が出土しています。うち1点は皿で、口径12.6p、器高2.5cm、高台径6.6cm、器厚O.2pの大きさです。皿以外に「椀」や「耳皿」と考えられる器種もあります。緑釉陶器は県内2例目。1例目は野辺地町二十平(1)遺跡から出土し、近江産との分析結果が出ています。本遺跡の緑釉陶器は京都府篠窯で作られたと思われます。住居跡から出土するのは極めてまれです。蝦夷が支配する地域であった当時の北東北において特殊な遺物ともいえる緑釉陶器の出土は、中央との政治的、経済的な関わりを考える上で重要な資料だと思います。
(長尾正義)

▲出土遺物1 ▲出土遺物2


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